2022年2月27日日曜日

3月6日(日)四旬節第1主日礼拝のご案内

 長野県新型コロナウィルスまん延防止重点措置適用

されたことを受け、3月6日の礼拝は家庭礼拝と

することにいたしました。

皆様、十分お気を付けください。






(旧約聖書)申命記 

         26章1節~11節              

(新約聖書)ローマの信徒への手紙 

         10章8節b~13節  

(新約聖書)ルカによる福音書    
         4章1節~13節


悪魔はイエスを高く引き上げ、
一瞬のうちに世界のすべての国々を見せた。
そして悪魔は言った。
「この国々の一切の権力と繁栄とを与えよう。
それはわたしに任されていて、
これと思う人に与えることができるからだ。
だから、もしわたしを拝むなら、
みんなあなたのものになる。」
イエスはお答えになった。
『あなたの神である主を拝み、ただ主に仕えよ』

  
      





『 誘惑 』  筑田 仁 牧師

私たちの父なる神と主イエス・キリストから恵みと平安とが、あなたがたにあるように。アーメン                           

今日の福音書は、いわゆる主イエスの荒れ野の誘惑です。現在の国際社会の中で、とある国への軍事進攻が行われています。私たちは、この事態をどのように見ていけばいいのでしょうか。少し、この視点で今日はみ言葉を読んでいきたいと思います。

悪魔は聖書の言葉で主イエスを誘おうとされたのです。洗礼者ヨハネから洗礼を受けられた主イエスは飢えのなかにいました。飢えとは、戦争や戦後の世代を生きられた方はお分かりの通り、人間の根幹を揺るがすものです。飢えは人間に理性を失わせます。悪魔は、そこをついて空腹を覚えられた主イエスに一言、誘惑の言葉をかけるのです。3節。

「そこで、悪魔はイエスに言った。『神の子なら、この石にパンになるように命じたらどうだ。』」

敢えて悪魔は主イエスに対して、あなたが「神の子なら」と、主イエスの立ち位置を尊重します。石をパンに変えること、主イエスならばできたことでしょう。なんの問題もなかったはずです。しかし、主イエスは、この悪魔の誘惑に毅然として答えます。4節。

「イエスは、『人はパンだけで生きるものではない』と書いてあるとお答えになった。」

この引用は、旧約聖書の申命記のからの引用です。申命記ではこのように書かれています。

申命記8章3節です。

「人はパンだけで生きるのではなく、人は主の口から出るすべての言葉によって生きる。」ここで主イエスは、人間がパンや肉の糧のみで生きるのではないと言われたのです。いや、むしろ人間は根本的に主の口から出るすべての言葉、つまり神の言葉によって生きると、人間の確信部分を突かれたのです。 

ご自分の飢えを感じられた主イエスはパンの誘惑の中で、敢えて私たちが神の言葉によって生きると言われました。物質的なものが私たちを満たすのではなく、本来、私たちは神の言葉によって生きているのであると、私たち人間のもっとも大切なことを告げられたのです。

争いが支配し、闇がこの世界を覆っているかのようにも思われる時世です。人間が暴力によって、力によって、他の人間を、国家を、支配しようとすることがまかり通っている事態です。本来、人間は神の言葉、神のいのちによって生かされているものです。他のいのちを力と暴力によって奪ってはいけないのです。他のいのちを尊重して然るべきです。なぜならそもそも私たちのいのちは神から頂いているものだからです。これは人道的にも大切なことです。

この世は、神の支配する世界でしょうか。それとも悪魔の支配する世界でしょうか。次の主イエスに対する悪魔の誘惑は、この世での繁栄と権力に関するものでありました。6節。

「この国々の一切の権力と繁栄とを与えよう。それはわたしに任されていて、これと思う人に与えることができるからだ。だから、もしわたしを拝むなら、みんなあなたのものになる。」

あなたに権力を与える、あなたは繁栄を手にすることができる、しかし、条件がある。もし、悪魔である私を拝むならば、と言うのです。悪魔は、私にひれ伏すならば、この世の富、権力、力、支配を与えようと言うのです。私たちは正直、このような悪魔の誘惑に負けるときがあります。侵攻、侵略によって、確かに権力を手にしようとし、暴力を正当防衛の手段にして悪魔の誘惑に屈してしまうときがあります。今の国際紛争はこのことを指し示していると思われます。主イエスはこの事態になんと答えられたのでしょうか。8節。

「『あなたの神である主を拝み、ただ主に仕えよ』と書いてある。」

権力を欲しいがために悪魔に屈してしまうのではなく、ただ純粋に神にのみ仕えなさいと言うのです。

私たちは今回の国際問題に心が乱れます。この事態をいったいどのように理解して、現状を認識していけば良いのかも戸惑う面があります。国家の暴力に国際社会はなすすべを知らないのです。しかし、悪魔に身を委ねることなく、私たちは、この世界に神の国を、まことの神の平和を形づくっていくことが求められています。軍事力という力の誇示によって尊い人間のいのちが奪われてはならないのです。主イエスはいのちと平和の立場から、人間の尊厳を守るように言います。私たちは、神の言葉、神のいのちに生かされている以上、神の国とまことの神の平和を創ることへと召し出されているのです。

「人はパンだけで生きるのではなく、人は主の口から出るすべての言葉によって生きる。」

今回の軍事侵攻は、私たちの心を暗くさせます。キリストに従う者は神に祈りを捧げ、その神に仕えることを第一の目的にして、これからもこの惨事に連帯の思いをもって歩んでいきたいと思います。悪魔の誘惑に屈することなく、平和の神の世界を形づくっていきたいと思います。人間は本来、主の口から出るすべての言葉によって生きるのです。神の言葉と神から与えられたいのちを何よりも大切にしたいのです。平和の神を真実に祈り求め、そして、この社会の平和を祈り支えていきましょう。

キリストの平和が、私たちのこの世界に、そしてこの社会を分かち合う全ての人々の心に行き渡りますように心から祈り願っています。

 

望みの神が、信仰からくるあらゆる喜びと平安とをあなたがたに満たし、聖霊の力によって、あなたがたを望みであふれさせてくださるように。     アーメン


0 件のコメント:

コメントを投稿