2018年7月29日日曜日

8月5日(日)聖霊降臨後第11主日礼拝のご案内

★ 諏訪教会の礼拝は、毎週日曜日午後3時からです。




(旧約聖書)エゼキエル書          2章1節~7節a

(新約聖書)コリントの信徒への手紙(二) 12章1節~10

(新約聖書)マルコよる福音書       6章1節~6節a

預言者が敬われないのは、自分の故郷、親戚や家族の間だけである。

   『 つまずいて得るもの 』  宮本 新 牧師





            




どなたでも大歓迎です。教会に来てみてください。 ⇒地図はこちら 


     熊本及び九州各地で地震の被害に遭われた方々のために、
                      祈りましょう・・・


熊本地震 日本福音ルーテル教会九州教区対策本部
「できたしこ ルーテル」
クリックされると、できたしこルーテルのフェイスブックにアクセスできます。

「できたしこ」とは・・・・?

「できたしこで行こう!」とは、今自分のできるだけのことを担っていこう!それで十分!という熊本弁だそうです。


2011年3月11日に起こった東日本大震災から、7年が経ちました。被害に遭われた方々の生活再建と、この悲劇が忘れ去られることのないよう、心よりお祈り申し上げます。日本福音ルーテル教会は、積極的にボランティアに参加しました。

ルーテルとなりびとをご覧ください。

2018年7月22日日曜日

7月29日(日)聖霊降臨後第10主日礼拝のご案内

★ 諏訪教会の礼拝は、毎週日曜日午後3時からです。




(旧約聖書)哀歌              3章22節~33節

(新約聖書)コリントの信徒への手紙(二) 8章1節~15

(新約聖書)マルコよる福音書       5章21節~43節


「娘よ、あなたの信仰があなたを救った。安心していきなさい。
もうその病気にかからず、元気に暮らしなさい。」


   『 二つの癒し 』  松岡 俊一郎 牧師 原稿

 人が助けを求める時、具体的な内容を口にします。確かに目の前の苦しみから逃れたいのです。しかし、よくよく話を聞くと、それは表面的な場合があり、心の奥底にはもっと深刻な問題や願いが潜んでいる場合があります。そしてそれは本人も気づいていない場合があります。しかし、話をしていくうちに、その奥底に気づき、到達した時、表に出ている苦しみは自然に克服される場合があります。人に必要な救いは、その人自身の存在が受け止められることのように思います。
今日の福音書の日課では、イエス様のところにヤイロという会堂長がやって来て、幼い娘が死にそうだから助けてほしいと願います。早速イエス様が一緒に出かけられると、そこに12年もの間出血の止まらない女性がやってきます。12年という長い期間病に苦しめられること自体大変なことです。止むことのない痛みに苦しめられたでしょうか。その処理に毎日明け暮れたでしょうか。彼女は難病の人が誰でもそうするようにたくさんの医者を尋ね歩きます。医学の発達していない時代です。怪しげな薬を処方され、薬が効かないとなると、ただでも病気は悪霊の仕業と考えられていた時代です、この女性が悪いかのように罵られたと思います。病の苦しみだけではなく精神的にも傷つけられる毎日だったでしょう。ひょっとしたら、占いの類にも頼ったかもしれません。いずれにしても、いいようにお金を巻き上げられ、彼女は財産を使い果たしてしまうのです。絶望的な状況です。もはや自分が生きている価値すら見いだせないなかで、最後の手段としてイエス様にすがるのです。ボロボロになった彼女がイエス様の前に堂々と立てるはずがありません。ましてやイエス様は大勢の群衆に囲まれています。彼女はまさに神にすがる思いで群衆の中にもぐりこみ、イエス様の服の裾に触るのです。すると彼女の出血は止まりました。イエス様は自分の体から力が出ていくことを感じ、それがどこかを探られます。「わたしの服に触れたのは誰か。」
弟子たちは困った先生だと言わんばかりに「群衆があなたに押し迫っているのがおわかりでしょう、なのに『誰がわたしに触れたのか』とおっしゃるのですか。」と言います。聖書には書かれていませんが、今、イエス様は病気で死にそうなヤイロの娘のところに行こうとする途中でした。ヤイロにしてみれば、娘が危篤という絶望的な時なのに、イエス様は誰が自分の服に触れたかともたもたされています。ヤイロはどんな気持だったでしょうか。やきもきし、いらいらし、泣き叫びたかったのではなかったかと思うのです。イエス様は娘がたとえ死んだとしても、父なる神によって生き返ることが出来ることを知っておられました。ですから、イエス様にとって手遅れはなかったのです。しかしヤイロはそんなことは知りません。一刻も早く娘のところに行ってほしかったのです。イエス様があまりにしつこく探し回られるので、女は恐ろしくなって名乗り出て、身の上をありのままに話し始めます。するとイエス様は「娘よ、あなたの信仰があなたを救った。安心していきなさい。」と言われたのです。イエス様にとっては、この女性の神の憐れみを求めるこころ、信仰を受け止めることが何よりも大切だったのです。
 さて、そこに会堂長の家の人々がやって来て、「お嬢さんはなくなりました。もう、先生を煩わすには及ばないでしょう。」と娘が死んだことを報告します。ヤイロにとって一番恐れていたことが起こりました。ヤイロにとっては悔やんでも悔やみきれないほどの気持だったのではなかったかと思います。絶望的な思いが絶望そのものに変わった瞬間でした。しかし、イエス様は「恐れることはない。ただ信じなさい」と言われます。そして会堂長の家に着き、大声で泣きわめいている人々に対して「なぜ、泣き騒ぐのか。子どもは死んだのではない。眠っているのだ」といさめ、子どものところに行き「タリタ、クム(少女よ、私はあなたに言う。起きなさい)」と声をかけられるのです。すると、少女はすぐに起き上がったのです。

 この二つの出来事に共通することは、絶望的な中での信仰です。長血を患った女性にはもはやすがるものは何もありませんでした。お金も使い果たし、同情と蔑視の入り混じった人間関係、彼女は自分にも人にも頼るものはないのです。ただイエス様の力を信じてその力によって癒してもらうだけでした。その癒しだけに希望が残されていたのです。ヤイロもまた娘が死ぬという絶望的な状態です。子どもの死ほど親を絶望に陥れるものはありません。死は人に絶対的な的な力をもって立ちはだかります。ヤイロにはもはや希望が残されていないのです。
絶望とは、周りはもちろん自分自身にも希望をおくことが出来ない状態です。人は希望を持つことが出来ない時には生きる力もないのです。自分にも人にも希望をおくことが出来ない時、残される道は神さまにのみ希望をおくことだけです。神様だけが人を絶望から救い出し、死から命に導かれるのです。旧約の日課である哀歌3:25には「主に望みをおき訪ね求める魂に、主は幸いをお与えになる」と言います。主は、その憐れみを求めるこころに応えてくださるのです。イエス様が執拗に女性を探されたのは、神の憐れみが注がれる相手を探されたのです。イエス様の言葉を信じないで嘲笑った人々は、奇跡の場から退けられ、絶望のゆえに神の救いにしか希望を見出せない両親と、後に教会の指導者になって行く三人の弟子たちにだけ、神の憐れみの力を見せられるのです。

 信じることは頼りないことです。信仰には確認するものがありません。時には客観性を無視します。それゆえに不安がられ恐れられる時もあります。この怖れから弾圧の対象にもなりました。しかし、神様は信仰を求められます。神様の憐れみと救いは、それを求める人に一直線に注がれます。悲しむ人、不安の中にある人、孤独な人、苦しむ人、目を上げることが出来ない人、神様はそれらの人に向かって憐れみを注がれ、イエス様はその人のために十字架の救いを成し遂げて下さったのです。神様の愛と憐れみが人に注がれ、それを信じた人には確かな力が与えられる、生きる希望が生まれるのです。人の目には不思議なことです。しかしそれが信仰の力なのです。信仰はいつも一定ではありません。波があり、ふり幅があります。しかし一見ないように見えても、なくなったように見えても、あなたが神様の憐れみを求める限り、成長し続けます。 

          



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     熊本及び九州各地で地震の被害に遭われた方々のために、
                      祈りましょう・・・


熊本地震 日本福音ルーテル教会九州教区対策本部
「できたしこ ルーテル」
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「できたしこ」とは・・・・?

「できたしこで行こう!」とは、今自分のできるだけのことを担っていこう!それで十分!という熊本弁だそうです。


2011年3月11日に起こった東日本大震災から、7年が経ちました。被害に遭われた方々の生活再建と、この悲劇が忘れ去られることのないよう、心よりお祈り申し上げます。日本福音ルーテル教会は、積極的にボランティアに参加しました。

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2018年7月20日金曜日

第18回甲府・諏訪教会合同修養会のご報告

★ 諏訪教会の礼拝は、毎週日曜日午後3時からです。




 7月15日、16日の二日間、富士見町ペンション「北欧」にて、第18回甲府・諏訪教会合同修養会が開かれました。今年は諏訪教会が当番でした。



 参加者は19名。主日礼拝が終わった後集合し、東京からわざわざお越し下さった松岡先生による開会礼拝で始まりました。



 

 まず夕食!北欧のご主人が育てた何種類もの野菜の様々なお料理を楽しんだ後、トマトのスープにエビとイカのガトーとビーフステーキ。そしてデザート・・・。

 



 とてもおいしかったのですが、ゆっくり食事を楽しみすぎて、夜の勉強会の時間がなくなってしまいました!でも、これも修養会。楽しいおしゃべりで、普段あまり会えない甲府と諏訪の教会員の交流を深めるよい機会でした。近くの温泉に行って、おやすみなさい。 




 そして翌朝。標高1200メートルの富士見高原でも、日中はとても暑かったのですが、さすがに朝は涼しい。朝の礼拝と朝食が終わって、いよいよ勉強会です。今回は、「聖書の活づくり」!聖書を刺身でも切り身でもなく、丸ごと活づくりの形で学びました。昨夜の分まで、しっかり勉強しましょう!




 神が天地を想像されたという旧約聖書から始まって、神と人との関係、それが破たんする過程。しかし神の愛は永遠であり、そのために預言者を送られました。それでも人々は神に立ち帰ろうとはしなかったのです。

 神は愛の最後の手段として「ひとり子」を送ってくださいました。それがイエス・キリストであり、十字架はその橋なのです。こうして、人は神との関係を修復し、イエス様を通して神のみもとに行くことができるのです。

 神の愛は、愛することを求めます。神を愛するだけでなく、人をも愛することを求めているのです。



 こうして、楽しかった修養会はいよいよお別れの時となりました。「北欧」のオーナーさんから、リンゴジャムとリンゴジュースを頂きました。松岡先生を囲んで学んだことを明日の生活に生かして、また来年も、みんな元気で集まりましょう!


 
 

 
 



2018年7月16日月曜日

7月22日(日)聖霊降臨後第10主日礼拝のご案内

★ 諏訪教会の礼拝は、毎週日曜日午後3時からです。




(旧約聖書)ヨブ記             38章1節~11節

(新約聖書)コリントの信徒への手紙(二) 7章1節~16

(新約聖書)マルコよる福音書       4章35節~41節


イエスは起き上がって、風を叱り、湖に「黙れ。静まれ』と言われた。
すると、風邪はやみ、すっかり凪になった。
イエスは言われた。「なぜ怖るのか。まだ信じないのか。」


   『 怖がる必要はない 』  松岡 俊一郎 牧師

            




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     熊本及び九州各地で地震の被害に遭われた方々のために、
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熊本地震 日本福音ルーテル教会九州教区対策本部
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「できたしこ」とは・・・・?

「できたしこで行こう!」とは、今自分のできるだけのことを担っていこう!それで十分!という熊本弁だそうです。


2011年3月11日に起こった東日本大震災から、7年が経ちました。被害に遭われた方々の生活再建と、この悲劇が忘れ去られることのないよう、心よりお祈り申し上げます。日本福音ルーテル教会は、積極的にボランティアに参加しました。

ルーテルとなりびとをご覧ください。

2018年7月9日月曜日

7月15日(日)聖霊降臨後第8主日礼拝のご案内

★ 諏訪教会の礼拝は、毎週日曜日午後3時からです。




(旧約聖書)エゼキエル書          17章22節~24節

(新約聖書)コリントの信徒への手紙(二) 6章1節~18

(新約聖書)マルコよる福音書       4章26節~34節

神の国を何にたとえようか。どのようなたとえで示そうか。
それは、からし種のようなものである。
土に蒔くときには、地上のどんな種よりも小さいが、
蒔くと、成長してどんな野菜よりも大きくなり、
葉の陰に空の鳥が巣を作れるほど大きな枝を張る。

 『 小さな種、世界を描く 』 安井 宣生 牧師(本郷教会)
        



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     熊本及び九州各地で地震の被害に遭われた方々のために、
                      祈りましょう・・・


熊本地震 日本福音ルーテル教会九州教区対策本部
「できたしこ ルーテル」
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「できたしこで行こう!」とは、今自分のできるだけのことを担っていこう!それで十分!という熊本弁だそうです。


2011年3月11日に起こった東日本大震災から、7年が経ちました。被害に遭われた方々の生活再建と、この悲劇が忘れ去られることのないよう、心よりお祈り申し上げます。日本福音ルーテル教会は、積極的にボランティアに参加しました。

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