2020年3月14日土曜日

教会の祈り





私たちの慰めの源である父なる神様。今日は主日礼拝を家庭礼拝で守っています。教会に集う教会員・求道者・ご家族の方々の健康をあなたのお守りのうちにおいてください。
神様、四旬節を迎えつつ私たちはキリストの受難と十字架を思い起こし、その苦しみを心に刻みつつ祈る日々を過ごしています。私たちを囲む状況がどんなに厳しさを増したとしても、あなたへの信仰と信頼を決して見失うことなく、この四旬節を自らの悔い改めとともに歩ませて下さい。

新型コロナウイルスが猛威をふるっています。しかし、神様、私たちは今こそこの社会の過剰な報道に惑わされることなく、キリストが民の苦しみを背負い、私たちの罪と咎のために十字架にかかられたことを思い、忍耐と克己の心で耐え忍びつつ、日々の生活を送ることができますようにお導き下さい。神様、キリストの受難と十字架は、私たちの日々の生活の苦しみを共に分かち合うためのものでありました。キリストが私たちの苦しみに寄り添い、私たちと共に苦悩しておられるのです。ここにキリスト者の慰めがあります。キリストが一人ひとりの苦悩を担ってくださるのです。私たちは独りで苦悩するのではなく、十字架上でのキリストの苦しみと共に、一人ひとりが生きていくのです。
 どうぞ、至らない私たちの信仰と祈りを、神様、かえりみて下さい。
神様、今回のコロナウイルスで亡くなられた方々の魂の平安を祈ると共に、感染された方々の回復と、この事態の終息を心からお祈り申し上げます。

 東日本大震災から9年を迎えました。被災された方々の道のりは尚も厳しく、多くの方々が復興を感じることができないまま9年の年月が流れています。震災そのものがこの国全体の出来事であるにも関わらず、最近の報道のあり方を見るならば、東北3県でのローカルな出来事であるかのように報道されています。生きる望みを見失い途方に暮れている方、震災で亡くなった人への悲嘆のうちに過ごす方、そして復興を目指して必死に努力を重ねられている方、それぞれの方々がまだまだ本当の意味での復興とは程遠い現実の中で生きているのです。どうぞ、神様、あなたの慰めを被災された一人ひとりの方々に注いで下さい。震災で亡くなられた方々のあなたのみ許での平安をお祈りするとともに、逆境と苦悩の中で生きていかざるを得ない方々のその歩みを支えて下さいますようにお願いいたします。

 今、家庭での礼拝のときとしています。教会員、求道者、それぞれの信仰をあなたがその場にあってお守りください。どうか、教会の小さな群れが、元気な顔で再会し、あなたの顔を見上げ、ふたたび礼拝できるときが与えられますようにお願いいたします。このようなときにこそ、どうぞキリストの教会の歩むべき道を、神様、どうぞお示しください。

悩みや悲しみ、不安や迷い、孤独のうちにいる者たちが、あなたとの祈りの中で慰められ、魂の憩いと平安を与えられますようにお願い致します。私たち人間の限界の越えたところで働かれるあなたのみ力に信頼して、たとえ試練の中にあっても、慰めを見出していくことができますようにお願いいたします。

神様、あなたはどんなときにも私たちと共にいてくださると、約束してくださいました。私たちは、その約束を信じ、今週一週間もあなたにすべてをゆだねてまいります。
日々、新型コロナウイルスで混乱している社会の中にあっても、私たちがキリストのいのちに生かされ、支えられ、あなたと隣人とに仕えながら、力強くこの世の歩みを続けていくことができますようにお導き下さい。

私たちの主イエス・キリストのみ名によって祈ります。  アーメン

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