お知らせ 本日の礼拝は、新型コロナウィルス感染予防の
ため中止です!!牧師からの説教メッセージをご覧ください。
(旧約聖書)出エジプト記 17章1節~7節
(新約聖書)ローマ信徒への手紙 5章1節~11節
(新約聖書)ヨハネによる福音書 4章5節~42節
「この水(井戸の水)を飲む者はだれでもまた渇く。 しかし、わたしが与える水を飲む者は決して乾かない。 わたしが与える水はその人の内で泉となり、 永遠の命に至る水がわき出る。」 |
『 サマリアの女 』 筑田 仁 牧師
私たちの父なる神と主イエス・キリストから恵みと平安とが、あなたがたにあるように。 アーメン
渇く、だれもが経験していることと思います。
この社会に生きるうえで、私たちは渇きつつ生活をしています。私たちは、確かに「神の口からでる一つひとつの言葉で生き」ています。食事のパンだけではなく、神のみ言葉に養われて、日々生きているのです。
しかし、です。にもかかわらず、私たちの飢え、渇きはおさまりません。毎日、何かが足りないように思われ、毎日、心の深いところで満足することを求めているのです。一体、なぜこんなに渇きを覚えるのか。私は一体何を求めているのであろうか。私たちにも分からない面が確かにあるのです。渇く自分と向き合いつつ、日々の生活を送らざるを得ないのです。
今日の福音書はこの私たちの渇きをテーマとしています。今日も主イエス・キリストのみ言葉に聞いていきたく願います。
今日の福音書の日課はサマリアの女性の話です。このサマリアの女性は正午頃に水を汲みに井戸にくるのです。本来、この地域の女性は朝に井戸の水を汲みにくるものです。日中の日差しは強く、朝でないと暑くて仕方がないのです。この女性の場合には、朝に水を汲みに来れない事情があったようです。隣りの人々の人目をはばかり、暑い日差しの照りつける中、正午頃に水を汲みにくるのです。そのような状況の中で、ユダヤからガリラヤへ旅をしている主イエスと出会うのです。
渇く、と先ほど言いました。まさにこのサマリアの女性は渇きの中で生きている女性でした。主イエスはここで「水を飲ませてください」とこの女性に求めます。しかし、この女性は、主イエスに否と断るのです。そこで、主イエスは答えます。ヨハネによる福音書4章10節。
「イエスは答えて言われた。もしあなたが、神の賜物を知っており、また、『水を飲ませてください』と言ったのがだれであるかを知っていたならば、あなたの方からその人に頼み、その人は生きた水を与えたことであろう。」
主イエスは明確に、この女性に答えるのです。私は、あなたののどの渇きを潤す水を与えることができるのであると。あなたは、5人も夫をかえて、日々人目をはばかり、隠れるように暮らしているかもしれない。誰にも癒されない心を抱えて生きているかもしれない。あなたは求めても、求めても、満たされない心の渇きを、もう既にどうにもできない心の渇きを抱えているかもしれない。
しかし、私は生きた水をもっており、しかもその水は永遠に至る水であり、あなたの根本的な渇きを潤すほどのものであるとー。ヨハネによる福音書4章13節を読みましょう。
「この水(井戸の水)を飲む者はだれでもまた渇く。しかし、わたしが与える水を飲む者は決して乾かない。わたしが与える水はその人の内で泉となり、永遠の命に至る水がわき出る。」
決して乾かない永遠の命に至る水を主イエスは持っておられるのです。主イエスの与える水は、その人の内で泉となる。主イエス・キリストは、もう渇きを覚えることのない永遠の命の水を与えることができるのです。いや、主イエス・キリストの存在そのものが永遠に渇くことのない命の水そのものであるのです。
この命の水に、このサマリアの女性は触れました。この女性は、この後どうしたでしょう。水がめをその井戸のところに置いたまま町に行き、主イエスのことを町中の人々に知らせるのです。
それだけではありません。この知らせを聞いた町の人々も主イエスのところを訪ね、主イエスは結局二日間町に滞在することになり、最後に町の人々はこのように言うのです。4章42節。
「私たちは自分で聞いて、この方が本当に世の救い主であると分かった」と。
サマリアの女性だけではなく、町の人々もこの主イエスの命の水、永遠に渇くことのない生きた水に触れたのです。この命の水に触れた人々は、本当に飢えと渇きから癒され、のどを潤され、主イエスが神のみ子であることを信じるところまで導かれていったのです。
のどの渇きを潤す神のみ子、主イエスの存在そのものは、この人間の渇きを徹底的に満たしてくれるものなのです。
「わたしが与える水を飲む者は決して乾かない。わたしが与える水はその人の内で泉となり、永遠の命に至る水がわき出る。」
主イエスは「決して乾かない」と言われています。私たちはこのみ言葉を信じて、信仰において歩んでいきたく思います。
冒頭で述べた通り、私たちは渇く自分と向き合っていかなければなりません。日々、自分ではどうにもできないくらいの渇きとともに、生きていかなければならないときもあります。
しかし、主イエス・キリストは「わたしが与える水を飲む者は決して乾かない」と言われています。この慰めの言葉を信じて、まさに命の水を主イエス・キリストから頂き、信仰の糧にして歩んでいきたく思います。サマリアの女性や町の人々が、この主イエスとの対話から潤され、いきいきと人生が変わったように、私たちも命の水、永遠の命の水へと招かれているのです。
主イエスと本当の意味で出会うことができたサマリアの女性の喜びが、今日の福音書から読み取れます。永遠の命の水をもっておられる主イエス・キリストと本当の意味で出会い、その水で潤され、心が満たされ、嬉々として日々の人生の歩みが変わったのです。
今日のみ言葉はやはり、望みに満ちたみ言葉なのです。渇きから永遠の命の水へと移り変わり、決して落胆することなく、今週一週間も希望を抱いて生きていきたい、そう願います。
人知ではとうてい測り知ることのできない神の平安が、あなたがたの心と思いとを、キリスト・イエスにあって守るように。
アーメン
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