2020年5月15日金曜日

5月17日(日)復活節第6主日の説教

お知らせ  本日の礼拝は、新型コロナウィルス感染予防の

ため中止です!!牧師からの説教メッセージをご覧ください。


(旧約聖書)使徒言行録        17章22節~31節

(新約聖書)ペトロの手紙(一)   3章13~22

(新約聖書)ヨハネによる福音書   14章15節~21節

わたしは、あなたがたをみなしごにはしておかない。
あなたがたのところに戻って来る。

   『 聖霊の希望とともに 』 筑田 仁 牧師

 私たちの父なる神と主イエス・キリストから恵みと平安とが、あなたがたにあるように。   アーメン

主日礼拝が家庭礼拝になって3ヶ月になります。この切迫した状況の中で、私は信徒の方々から近況報告を聞きます。大変ありがたい報告です。一人一人がよく家庭礼拝を守ってくださっています。一人での祈りのとき、家族での祈りのときを、説教原稿や讃美歌や教会の祈りを用いて守って下さっています。その報告に私自身も慰められ、励まされ、そしてなんとかこれまで歩んでこられました。キリスト者の歩み、それは交わりの歩みと言えるでしょう。
礼拝そのものも、私達のルーテル教会では会衆の交わりと祈りの中で行なうものです。牧師一人の働きでは、聖餐式を行う際、パンとぶどう酒をキリストの現臨を指し示すものとはならなのです。いわゆるパンとぶどう酒の変化は会衆の祈りの中で、聖霊の助けをかりて行われるものです。
私達の信仰の歩みは交わりの中で支えられ、守られるものです。キリスト者相互の交わりの中で、またいのちのみ霊である聖霊との交わりの中で、私たちは日々の生活を生きていくのです。生活の様々なところで、私たちは神のみ声に従っていきたいと思います。今日も聖書のみ言葉に耳をすませていきましょう。
感染症が広がっています。この感染症は私たちにとって最も手痛い一撃を与えています。それは他者との、隣人との、「交わり」を壊すことです。飛沫感染、接触感染。感染症は、私たちが隣人とのふれあいを保って生きているこの社会の中で、交わりそのものを断ってしまうことを広げているのです。私たちにとって、隣人との交わりは、いのちと生活に直接かかわることです。私たちの弱点、ウイークポイントをこの感染症はついてくるのです。
主イエス・キリストは、ご自身の召天の後、聖霊を送ることを今日の福音書で話されます。この社会で交わりが途絶え、人と人との関わりが希薄になっている時に、まさにいのちのみ霊、聖霊が私たちに降ってくると約束されるのです。この世はそれを理解できないと主は言われます。ここで、ヨハネによる福音書1417節。
「世は、この霊を見ようとも知ろうともしないので、受け入れることができない。」
ここで「世」という言葉は、この世に暮らす人々と、その人々を支配しようとする悪の勢力のことを意味しています。悪の勢力というものがあることを聖書はみているのです。感染症が悪の勢力に該当するかどうかは、後の歴史家の判断に委ねなければなりません。安易な感染症の信仰的な理解と判断は避けなければなりません。私たちは、感染症の意味を内心問いつつも、もう少し長い目でこの推移を見守る必要があるでしょう。
主イエスは聖霊を弟子たちに送ることを伝えます。ヨハネによる福音書1416節。
「父は別の弁護者を遣わせて、永遠にあなたがたと一緒にいるようにしてくださる。この方は真理の霊である。」
主は、永遠に私たちと一緒にいて下さる弁護者を送ると言います。この弁護者は、もともとのギリシャ語を調べると「慰める」、「守る」、「勇気づける」という意味があります。困窮した状況にいる者達を慰めてくださる、力づけてくださる、そのような神のみ霊を主イエスは送って下さると言うのです。
そのみ言葉を受けて、聖霊が、キリストに生きる私たちの傍らにいます。たとえ感染症がどんなに広がっても、私たちには決して途絶えることのないいのちのみ霊の臨在があるのです。私たちを包み込み、この心の底にある深いうめき、嘆きを聞いてくださり、慰めて下さる方がそばにいるのです。聖書をもっと読んでみるならば、そのみ霊は私たちの魂の内におられると書かれています。ヨハネによる福音書1417節。
「この霊があなたがたと共におり、これからもあなたがたの内にいるからである。」
み霊によって私たちのいのちは支えられ、神への信仰を保たれています。私たちは実際には浅い祈りしかできません。魂の深みから神に真心の祈りを捧げたいと、日々願うけれども、実際には、軽い言葉しかこの魂から出てこないものです。しかし、聖霊は、この魂の深みにいて下さり、言葉にならない私たちの思い患いを、うめきと嘆きを、神に取り次いでくださるのです。この聖霊の働きに導かれるままに、私たちは祈りの日々をこれからも続けていきたく思うのです。
社会のあり様が大きく変わろうとしているこの状況において、私たちはみ霊が、新しく降ってくださることを信じていきたく思います。閉塞感ばかりではないのです。この状況から新しい何かが生まれてくるきざしがあり、そこで一番原動力となるのはみ霊の働きです。社会を、人間を、根本から変えるあり方が、み霊の存在とその働きによって起こってくると言えるでしょう。
感染症は、私たちの日々の生活に大きな影を落としています。人と人との触れ合いができない状況を生み出しています。この苦境を越えて、聖霊が、キリストの霊が、働き出しています。新型コロナウイルス以降の世界を目指して、いのちのみ霊は、人間の社会に新しい何かをもたらすはずです。
主イエス・キリストは、聖霊において、私たちの社会を導いておられます。軽率に時代に流されることなく、しかし、主イエスのもたらす新しい始まりを受け入れていきたく思います。悲嘆に沈むことなく、この社会の行く末に希望を抱きたく思います。
今日も、私たちは家庭礼拝で祈りのひと時を持ちました。私たちのか細い祈りの声に、聖霊の祈りが重なり、その祈りは広がるように神へと繋がっていくのです。聖霊が、私たちの魂の中心で祈っておられます。
私たちは感染症が落ち着いた後の新しい生活に向けて、聖霊の働きの中で希望を失うことなく祈り続けていきたいと願います。

人知ではとうてい測り知ることのできない神の平安が、あなたがたの心と思いとを、キリスト・イエスにあって守るように。                   アーメン

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