お知らせ短縮礼拝!!!
2020年12月27日日曜日
2020年12月20日日曜日
12月27日(日)降誕節第1主日礼拝のご案内
(旧約聖書)イザヤ書 61章10節~62章3節
(新約聖書)ガラテヤの信徒への手紙16章25節~27節
2020年12月11日金曜日
12月24日(水)キャンドルサービスのご案内
クリスマス・キャンドル礼拝
今日ダビデの町で、あなたがたのために 救い主がお生まれになった。 この方こそメシアである。 ルカによる福音書2章11節 |
説教「降誕」 説教者 筑田 仁
私たちの父なる神と主イエス・キリストから恵みと平安とが、あなたがたにあるように。 アーメン
私たちの主イエス・キリストはこの聖夜にお生まれになりました。
おとめマリアと、忠実な夫ヨセフのもとでお生まれになりました。このクリスマスの夜に起こった出来事はひっそりとした小さな出来事であったのです。当時ユダヤ地方で住民登録がありました。そのためマリアとヨセフは、ガリラヤの町ナザレから、ダビデの町、ベツレヘムに向かうのです。
ところが、そのベツレヘムにいる間に、マリアは月が満ちて男の子を産みます。それは貧しい馬小屋の中での出来事でした。貧しい馬小屋で、赤子は飼い葉桶に寝かされて、この夜、誕生したのです。
この聖夜の出来事は、本当に小さく、素朴で、世間一般に誰にも顧みられることのない出来事でした。この夫婦は宿屋に泊まることもできなかったのです。当時、このユダヤの地方では、旅人を宿屋で泊めることは勧められていることでした。旅人へのもてなしは勧められていたのです。しかし、マリアとヨセフはその夜、探しても、探しても、どこにも宿屋はいっぱいで見つけることが出来ませんでした。
彼らは結果的には馬小屋しか見つからず、そこで泊まることになりました。そして、産まれた子どもを飼い葉桶に、つまり家畜の飼料をいれる箱に、寝かせることになるのです。この聖夜、救い主は、飼い葉桶にて、静かにお生まれになりました。まことの救い主のご降誕は、人々からそして社会からさして注目を集めることもなく、ひっそりと行なわれたのです。
そして、この二人、マリアとヨセフをとりかこむ状況には大変厳しいものがありました。なぜなら、おとめが、結婚を前にして身ごもってしまうからです。
おそらく、おとめマリアは恐れと戸惑いの中にいたことでしょう。ヨセフもおそらくマリアのことを疑う猜疑心に悩まされていたはずです。自分の相手を疑ってしまっても仕方のない状況です。この妊娠がもし世間に広がってしまったら、もう二人の社会生活は崩れてしまいます。それこそ、社会は、冷たい目でこの二人を裁くことになるでしょう。婚姻生活は社会的に破綻したとしてもおかしくない状況でした。ギリギリのところで、この二人はかろうじて、この夜、赤ちゃんを産むのです。
この聖夜、人間の怖れ、心の暗闇が、マリアとヨセフに、そしてこの社会に渦巻いていました。しかし、この疑いに溢れている世界のただなかで、聖書は、清らかなみ子の誕生を告げるのです。人間の罪に溢れているこの世界のただ中で、人間の罪を赦す神のみ子のご降誕を告げるのです。
この救い主、み子イエス・キリストの波乱に満ちたご生涯は、ゴルゴダの丘の十字架まで続きます。誰からも、慰めに満ちたそのご生涯を理解されませんでした。逆に、無理解、誤解のなかで彼は十字架までの道のりを辿ります。時の為政者たちは、彼をローマ帝国の極刑である十字架につけます。弟子たちも、最後の最後に彼を見捨てて逃げ去っていきます。この聖夜にお産まれになった赤子は、その生涯の最後に至るまで、人間の無理解と、隣人から見捨てられることの中で終えていくのです。
彼は人間の拭いきれない罪を背負い、担い、まことの救いをもたらすために、ゴルゴダの丘の十字架への苦難の道のりを歩んで行くのです。
ここまで主イエス・キリストのご降誕、ご生涯について話してきました。この降誕の出来事の中であらわになることはなんでしょうか。それは、一つは、神の恵みということです。どうにも逃れることのできない疑いと不信が、この聖夜を包んでいました。しかし、人間の罪が極まるからこそ、み子イエス・キリストのご降誕を通して、私たちはまことの希望を見ることができるのです。主イエス・キリストのご降誕に、私たちは、この人間の罪を赦す神のみ子の到来を知るのです。そして神の憐れみがこの赤子の姿に圧倒的に溢れていることを知ります。
聖書の告げるメッセージは、素朴なものです。罪が溢れているところ、にも関わらずに、神の恵みが溢れているということです。
また、この赤子の誕生は、主イエス・キリストの人間の痛みとの連帯の意味も持ちます。この世界は今、痛みで満ちています。感染症のパンデミックが広がり、クリスマスをお祝いできない地域も多くあります。この人間の痛み、世界の痛みに、共に苦しむかのように神のみ子は、この夜にお生まれになったのです。キリストは人間の痛みを、共に担い、共に苦しむお方です。今日の赤子のご降誕に神様の人間の痛みへの連帯が色濃く表れているのです。
人間の闇に覆われるこの世界に、この暗闇のただ中に、神の独り子がまことの光としてお産まれになりました。この聖夜、天の大軍が加わり、神のみ名を賛美して歌います。
「いと高きところには、栄光、神にあれ、地には平和、御心に適う人にあれ。」
この世界を統べ治める神に栄光がありますようにと讃美したく思います。また、この地上の全ての人々に安らかな心がありますように祈りたく思います。
クリスマスは、まさに神からの恵みの出来事です。この赤子のご降誕を、人間の痛みを引き受け、共に苦しんで下さるお方のご降誕を、心からお祝いしお迎えしたく思います。
この聖夜、神様からの祝福が皆様のうえに豊かに注がれますように。クリスマスおめでとうございます。メリークリスマス。
人知ではとうてい測り知ることのできない神の平安が、あなたがたの心と思いとを、キリスト・イエスにあって守るように。
アーメン
今年のクリスマスは、マスクを着け、ソーシャルディスタンスを取りながら賛美歌を歌います。とても残念ですが、一日もはやく平穏な日常が戻ることを祈りつつ、イエス様がお生まれになった喜びを一緒にお祝いしましょう!!
2020年12月6日日曜日
12月13日(日)待降節第3主日礼拝のご案内
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(旧約聖書)サムエル記(下) 7章1節~11節、16節
(新約聖書)ローマの信徒への手紙 16章25節~27節
2020年11月29日日曜日
12月6日(日)待降節第2主日礼拝のご案内
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(旧約聖書)イザヤ書 40章1節~11節
バルトロメ・エステバン・ムリーリョ「荒野の洗礼者ヨハネ」 1660~1670 ナショナル・ギャラリー(ロンドン) わたしよりも優れた方が、後から来られる。 わたしは、かがんでその方の履物のひもを解く値打ちもない。 私は水であなたたちに洗礼を授けたが、 その方は聖霊で洗礼をお授けになる。 |
坂本千歳牧師が、講壇奉仕で諏訪教会の礼拝を担当してくださいました。
ルーテル教会には、現在15人の女性牧師がいます。第1号となった門脇文子牧師が按手を受けたのは、1970年。次の女性牧師誕生まで、21年の空白がありました。しかし、その後の約30年で、13名の女性牧師が按手を受け、各地の教会で活躍しています。
2020年11月22日日曜日
11月29日(日)待降節第1主日礼拝のご案内
秋の墓前礼拝
11月15日(日)気持ちのいい秋晴れの下、今年も秋の墓前礼拝を行いました。
例年より2週間ほど遅くなったせいか、紅葉は見ごろが終わり、冬の訪れが迫りつつあることを実感しました。
祈 り * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * *
恵み深い神様。今、私たちは、過ぐる年にみもとに召された兄弟姉妹を記念しています。あなたが、兄弟姉妹を通して与えてくださったさまざまな恵みを感謝します。あなたは、み子キリストの死と復活によって、私たちを永遠の死から解き放し、新しいいのちを与えてくださいました。復活の望みを与えられ、召された兄弟姉妹と共にささげる私たちの賛美を祝福してください。あなたの慰めと望みとをもって私たちを満たし、召されたものと共に復活の恵みに与らせてください。
私たちの主、イエス・キリストによって祈ります。 アーメン
2020年11月15日日曜日
11月22日(日)聖霊降臨後最終主日礼拝のご案内
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(旧約聖書)エゼキエル書 34章11節~16節
2020年11月8日日曜日
11月15日(日)聖霊降臨後第24主日礼拝のご案内
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(旧約聖書)ゼファニヤ書 1章7節、12節~18節
2020年11月1日日曜日
11月8日(日)聖霊降臨後第23主日礼拝のご案内
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(旧約聖書)アモス書 5章18節~24節
2020年10月25日日曜日
11月1日(日)全聖徒の日礼拝のご案内
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全聖徒の日とは・・・・・?
教会の暦で、昨日10月31日は「宗教改革日」でしたが、きょう11月1日は「全聖徒の日」です。実は、この11月1日があったから、10月31日が宗教改革のきっかけとなったわけですが、そのことについて書いてみますね。
11月1日は、当時の教会の暦では「諸聖人の日」でした。そして、毎年、この日に、ルターが暮らし働いていた街のヴィッテンベルクで聖遺物の一般公開がなされていたのです。聖遺物とは、キリストに関係するいろんなものだとか、教会の歴史上のお偉いさんである聖人に関係するいろんなもののことです。たとえば、キリストが縛り付けられた柱だとか、十字架の一部だとか、幼な子イエスを包んだ布だとか、聖人の骨だとか、その服の切れ端だとか、そうした類のものです。
当時の教会では、そうした聖遺物を見たり触れたりするなら、私たちが犯した罪の償いが軽減される御利益があると教えられていました。死んだ後に、罪の償いをする煉獄という場所があると信じられていたのですが、その煉獄での苦しみが何万年分免除されるというような教えがなされていたのです。ですから、その11月1日の諸聖人の日に毎年なされた聖遺物の一般公開は、ヴィッテンベルクの人たちにとって、一年に一度の大事なとてもありがたい機会だったのです。
他方、他の町々では、罪の償いが完全に免除されるお札が売られていました。それが「贖宥状」、いわゆる「免罪符」として知られているお札です。そのお札を買えば、罪の償いがすべて免除されるとされていました。そのお札を買う代金を賽銭箱の中に入れて、その箱の底で「チャリン」と音がするや否や、魂は煉獄から飛び出て天国に行くことができるなんて、そんな説教?もなされていたそうです。ヴィッテンベルクがあるザクセン選帝侯が治めていた領内では、聖遺物の一般公開が廃れてしまうことを危惧して、このお札の販売は禁じられていました。でも、街のみんなは、隣の領までそのお札を買いに行ったと言います。
ルターは、ヴィッテンベルクでの聖遺物の一般公開の日である11月1日の前日、10月31日に、「贖宥の効力に関する討論」(95箇条の提題)を発表します。贖宥状や聖遺物によって、私たちの罪が軽減されるなんていうのはおかしい。イエス・キリストが「悔い改めよ」と言われたのは、そんなお札を買ったり、何か物を見たり触ったりしたら、もう罪の償いをしなくてよくなるということじゃないでしょ?そうじゃなくて、信仰者として一生涯悔い改め続けることを、キリストは私たちに望んでおられる。そしてそれは、私たちがお札を買ったり、聖遺物を見たり触ったりでなくて、キリストの十字架に立ち返ることでしょ?教会は、そのキリストの十字架をこそ宣べ伝えるべきで、お札や聖遺物を伝えるんじゃないよ!そのことをみんなで話し合いましょうよと、当時の教会の指導者に書き送ったのです。
実際にはその話し合いには誰も参加せず実施されなかったということですが、でも、当時はちょうど活版印刷の技術が開発された時代で、しかもコピーフリーの時代ですから、ルターのその文書は、たくさん印刷されて、すぐに多くの地方に住む多くの人たちが目にすることになったのでした。それが宗教改革のきっかけとされ、10月31日が宗教改革日として位置付けられるわけです。
このように、11月1日の諸聖人の日と、10月31日の宗教改革日は、大きく関係があるわけですが、現在、私たちの教会では、11月1日は「諸聖人の日」ではなく、「全聖徒の日」と呼んでいます。「諸聖人」と「全聖徒」という言葉、似てますけれど、その意味合いは大きく違います。(英語では、All saint's dayで言葉は同じですが)
私たちが今日覚えるのは、一部の教会の歴史上のお偉いさんとしての諸聖人だけではありません。全聖徒です。つまり、キリストの十字架と復活によって、神の恵みとして、神のものとされたすべての人々(聖徒たち)を覚え、すべての聖徒たちを支え導く、神をたたえるのです。そして、私たちもその聖徒たちのひとりとされていることを喜び感謝する日でもあります。
なお、この全聖徒の日は、11月の第一日曜に「全聖徒主日」として振り替えて覚えることも可能とされています。そして、この日の主日礼拝を、地上の生涯を終えて天の神のみもとに召された方々を覚え、「召天者記念礼拝」として行う教会も多いですね。
みなさんとともに、いのちの神からの希望が豊かにありますように。
大麻ルーテル教会/北見聖ペテロ・ルーテル教会のHPから引用させていただきました。
11月1日 全聖徒主日礼拝、遺影と共に・・・ |
坂本千歳先生のハープ演奏に癒されて・・・ |