クリスマス・キャンドル礼拝
今日ダビデの町で、あなたがたのために 救い主がお生まれになった。 この方こそメシアである。 ルカによる福音書2章11節 |
説教「降誕」 説教者 筑田 仁
私たちの父なる神と主イエス・キリストから恵みと平安とが、あなたがたにあるように。 アーメン
私たちの主イエス・キリストはこの聖夜にお生まれになりました。
おとめマリアと、忠実な夫ヨセフのもとでお生まれになりました。このクリスマスの夜に起こった出来事はひっそりとした小さな出来事であったのです。当時ユダヤ地方で住民登録がありました。そのためマリアとヨセフは、ガリラヤの町ナザレから、ダビデの町、ベツレヘムに向かうのです。
ところが、そのベツレヘムにいる間に、マリアは月が満ちて男の子を産みます。それは貧しい馬小屋の中での出来事でした。貧しい馬小屋で、赤子は飼い葉桶に寝かされて、この夜、誕生したのです。
この聖夜の出来事は、本当に小さく、素朴で、世間一般に誰にも顧みられることのない出来事でした。この夫婦は宿屋に泊まることもできなかったのです。当時、このユダヤの地方では、旅人を宿屋で泊めることは勧められていることでした。旅人へのもてなしは勧められていたのです。しかし、マリアとヨセフはその夜、探しても、探しても、どこにも宿屋はいっぱいで見つけることが出来ませんでした。
彼らは結果的には馬小屋しか見つからず、そこで泊まることになりました。そして、産まれた子どもを飼い葉桶に、つまり家畜の飼料をいれる箱に、寝かせることになるのです。この聖夜、救い主は、飼い葉桶にて、静かにお生まれになりました。まことの救い主のご降誕は、人々からそして社会からさして注目を集めることもなく、ひっそりと行なわれたのです。
そして、この二人、マリアとヨセフをとりかこむ状況には大変厳しいものがありました。なぜなら、おとめが、結婚を前にして身ごもってしまうからです。
おそらく、おとめマリアは恐れと戸惑いの中にいたことでしょう。ヨセフもおそらくマリアのことを疑う猜疑心に悩まされていたはずです。自分の相手を疑ってしまっても仕方のない状況です。この妊娠がもし世間に広がってしまったら、もう二人の社会生活は崩れてしまいます。それこそ、社会は、冷たい目でこの二人を裁くことになるでしょう。婚姻生活は社会的に破綻したとしてもおかしくない状況でした。ギリギリのところで、この二人はかろうじて、この夜、赤ちゃんを産むのです。
この聖夜、人間の怖れ、心の暗闇が、マリアとヨセフに、そしてこの社会に渦巻いていました。しかし、この疑いに溢れている世界のただなかで、聖書は、清らかなみ子の誕生を告げるのです。人間の罪に溢れているこの世界のただ中で、人間の罪を赦す神のみ子のご降誕を告げるのです。
この救い主、み子イエス・キリストの波乱に満ちたご生涯は、ゴルゴダの丘の十字架まで続きます。誰からも、慰めに満ちたそのご生涯を理解されませんでした。逆に、無理解、誤解のなかで彼は十字架までの道のりを辿ります。時の為政者たちは、彼をローマ帝国の極刑である十字架につけます。弟子たちも、最後の最後に彼を見捨てて逃げ去っていきます。この聖夜にお産まれになった赤子は、その生涯の最後に至るまで、人間の無理解と、隣人から見捨てられることの中で終えていくのです。
彼は人間の拭いきれない罪を背負い、担い、まことの救いをもたらすために、ゴルゴダの丘の十字架への苦難の道のりを歩んで行くのです。
ここまで主イエス・キリストのご降誕、ご生涯について話してきました。この降誕の出来事の中であらわになることはなんでしょうか。それは、一つは、神の恵みということです。どうにも逃れることのできない疑いと不信が、この聖夜を包んでいました。しかし、人間の罪が極まるからこそ、み子イエス・キリストのご降誕を通して、私たちはまことの希望を見ることができるのです。主イエス・キリストのご降誕に、私たちは、この人間の罪を赦す神のみ子の到来を知るのです。そして神の憐れみがこの赤子の姿に圧倒的に溢れていることを知ります。
聖書の告げるメッセージは、素朴なものです。罪が溢れているところ、にも関わらずに、神の恵みが溢れているということです。
また、この赤子の誕生は、主イエス・キリストの人間の痛みとの連帯の意味も持ちます。この世界は今、痛みで満ちています。感染症のパンデミックが広がり、クリスマスをお祝いできない地域も多くあります。この人間の痛み、世界の痛みに、共に苦しむかのように神のみ子は、この夜にお生まれになったのです。キリストは人間の痛みを、共に担い、共に苦しむお方です。今日の赤子のご降誕に神様の人間の痛みへの連帯が色濃く表れているのです。
人間の闇に覆われるこの世界に、この暗闇のただ中に、神の独り子がまことの光としてお産まれになりました。この聖夜、天の大軍が加わり、神のみ名を賛美して歌います。
「いと高きところには、栄光、神にあれ、地には平和、御心に適う人にあれ。」
この世界を統べ治める神に栄光がありますようにと讃美したく思います。また、この地上の全ての人々に安らかな心がありますように祈りたく思います。
クリスマスは、まさに神からの恵みの出来事です。この赤子のご降誕を、人間の痛みを引き受け、共に苦しんで下さるお方のご降誕を、心からお祝いしお迎えしたく思います。
この聖夜、神様からの祝福が皆様のうえに豊かに注がれますように。クリスマスおめでとうございます。メリークリスマス。
人知ではとうてい測り知ることのできない神の平安が、あなたがたの心と思いとを、キリスト・イエスにあって守るように。
アーメン
今年のクリスマスは、マスクを着け、ソーシャルディスタンスを取りながら賛美歌を歌います。とても残念ですが、一日もはやく平穏な日常が戻ることを祈りつつ、イエス様がお生まれになった喜びを一緒にお祝いしましょう!!
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