お知らせ 短縮礼拝!!!
(新約聖書)使徒言行録
3章12節~19節
(新約聖書)ヨハネの手紙(一)
3章1節~7節
私たちの父なる神と主イエス・キリストから恵みと平安とが、あなたがたにあるように。
アーメン
「いつまでむなしさを愛し、偽りを求めるのか。」
今日の讃美唱、詩編の4編の言葉です。
むなしさ、私たちはこのむなしさに捉われてしまいます。躓きと、困難の中を歩く人生において、一時的に自分の心を満たしてくれるものに心を捉われるのです。これはむなしいものだと分かっていても、この渇いた心を一時でも満たしてくれるものなら良いとばかりに、快楽や、安易に手に入るものに心を奪われてしまうのです。この詩編記者の言葉は私たちの事実、そしてある面、人間の真実を表しているのです。「いつまでむなしさを愛し、偽りを求めるのか。」
弟子たちもそうであったかもしれません。主イエス・キリストは復活した後、何度か女性たちを通して、弟子たちにその復活を伝えていたのです。しかし、今日の福音書では、復活の主イエスに実際に出会っても、弟子たちの心は主を迎えることができませんでした。今日の福音書の37節。「彼らは恐れおののき、亡霊を見ているのだと思った」と書かれています。
むなしさを愛し、偽りを求める心。この心の暗闇に支配され、弟子たちは主イエスの復活を、その事実を受け入れることができなかったのです。たとえ主イエスと3年間、宣教の旅をしてきた弟子達であったとしても、この主イエスのメッセージの核心部分が見えなかったのです。主イエスは死んでしまった。所詮、主イエスなんて預言者の一人でしかなかった。彼は、ユダヤ社会で期待された人であったけど、結局、私たちの期待に応えるような人物ではなかった。私たちは、この人生を諦め、どうせこの世界には失望しかないのだと、呟いて終わってしまうのです。私たちは、先ほどの詩編4編の言葉の通り、むなしさを愛します。主イエスの復活が見えなくて、自信喪失、そして自暴自棄になってしまうのです。主イエスのメッセージの核心部分を掴みそこなってしまうのです。
しかし、主イエスのみ言葉は、この失望から違う視点を与えてくれるのです。それは45節。「そしてイエスは、聖書を悟らせるために彼らの心の目を開いて」と書かれています。注意深く読んでみると、主イエスは、私たちの心の目を開くと、書かれているのです。キリストが頑固で、物わかりの悪い私たちの目を開いてくださるのです。
キリストに目を開かれ、そして開かれたことによって私たちの人生が少しづつ変えられていくと言えるのではないでしょうか。むなしいものにとらわれて、人生を悲観していた私たちです。しかし、復活のキリストによって、もっと人生を活き活きと生きて、もっと希望や望みと共に、この人生を展望できるようになるのではないでしょうか。
この世界はただの世界ではありません。甦られたキリストが支配する世界に私たちは生きているのです。神から与えられた私たちのいのちそのものは今、活き活きと保たれ、私たちは大自然や動物や植物の背後にも、神の姿を見出していけるのです。
ここそこに、いたるところに、主イエスの復活の片りんを、輝くかけらを、見出していくことができます。私たちは、希望と共に、この秩序に保たれた世界の中で生きていくのです。私たちは、もっと顔を上げ、前を向いて歩いても良いのです。
今日の福音書の47節ではこう書かれています。
「エルサレムから始めて、あなたがたはこれらのことの証人となる。」
キリストの復活を通して生きる力を与えられ、そこから慰めを見出し、私たちはこの世界に送り出されていきます。キリストの使者として、キリストの復活を伝える伝道者として、私たちはこの世界に派遣されていくのです。むなしさと偽りがまかり通る世界の中で、望みに生き、慰めを語る者として少しづつ変えられて、私たちはこの世界に押し出されていくのです。皆さん、主イエスの復活から世界を見てみるならば、この世界は穏やかで、もっと平らかな地平が広がっているのではないでしょうか。
キリストの証人、証し人として生きること、それは、この世界は神が支配したもう世界であり、甦りの主イエスの片りんが、ここそこに見られる世界に生きることです。私たちはむなしさ、偽りに固執してしまうときもあります。しかし、この世界は復活の主が支配したもう世界です。望みと慰めのある世界なのです。私たちは人生を深く肯定して、人生を深く受け入れて、波乱にみちた人生だったとしても、復活された主イエスと共に生きていく道を歩こうではありませんか。
人知ではとうてい測り知ることのできない神の平安が、あなたがたの心と思いとを、キリスト・イエスにあって守るように。 アーメン
2 件のコメント:
桜並木の散歩、拝見しました…撮影者です。
立派なホームページができたのですね!
今後もまたお邪魔させていただきます♪
また、ぜひ画像を送ってください。残念ながら、しばらくの間礼拝はお休みです。
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