2018年11月26日月曜日

最上のわざ




最上のわざ

この世の最上のわざは何?
楽しい心で年をとり、
働きたいけれども休み、
しゃべりたいけれども黙り、
失望しそうなときに希望し、
従順に、平静に、おのれの十字架をになう。

若者が元気いっぱいで神の道を歩むのを見ても、ねたまず、
人のために働くよりも、謙虚に人の世話になり、
弱って、もはや人のために役立たずとも、
親切で柔和であること。

老いの重荷は神の賜物、
古びた心に、これで最後のみがきをかける。
まことのふるさとへ行くために。
おのれをこの世につなぐ鎖を少しずつはずしていくのは、真にえらい仕事。

こうして何もできなくなれば、
それを謙虚に承諾するのだ。

神は最後にいちばんよい仕事を残してくださる。
それは祈りだ。
手は何もできない。
けれども最後まで合掌できる。
愛するすべての人のうえに、神の恵みを求めるために。

すべてをなし終えたら、
臨終の床に神の声をきくだろう。
「来よ、わが友よ、われなんじを見捨てじ」と。

            ヘルマン・ホルベルスの「人生の秋より」



 11月23日(金・祝)松本教会にて、「甲信地区一日神学校」が開かれました。今年は、ルーテル神学校校長、石居基夫牧師をお招きして、『私たちの死と看取り~日本のリスト者として」というテーマでお話して頂きました。
 上の詩は、そのお話の中で石居先生が紹介して下さったものです。私たちキリスト者が死と向かい合ってなすべきこと・・・・それは、「決してひとりでは死なせない」ということ。だから、私たちは老いて弱っていく自分を嘆くのではなく、安心して、謙虚に死を受け入れて行けばいいのです。なんと心強いことでしょう。

石居基夫牧師


2018年11月25日日曜日

12月2日(日)待降節第1主日礼拝のご案内

★ 諏訪教会の礼拝は、毎週日曜日午後3時からです。




(旧約聖書)エレミヤ書        33章14節~16節

(新約聖書)テサロニケの信徒への手紙 二

                   3節~13

(新約聖書)ルカよる福音書     19章28節~40節


主の名によって来られる方、王に、祝福があるように。
天には平和、いと高きところには栄光。

   『 ともがら黙さば、石叫ぶべし 』 木下 海龍 牧師 

 
           


どなたでも大歓迎です。教会に来てみてください。 ⇒地図はこちら 


     熊本及び九州各地で地震の被害に遭われた方々のために、
                      祈りましょう・・・


熊本地震 日本福音ルーテル教会九州教区対策本部
「できたしこ ルーテル」
クリックされると、できたしこルーテルのフェイスブックにアクセスできます。

「できたしこ」とは・・・・?

「できたしこで行こう!」とは、今自分のできるだけのことを担っていこう!それで十分!という熊本弁だそうです。


2011年3月11日に起こった東日本大震災から、7年半が経とうとしています。被害に遭われた方々の生活再建と、この悲劇が忘れ去られることのないよう、心よりお祈り申し上げます。日本福音ルーテル教会は、積極的にボランティアに参加しました。

ルーテルとなりびとをご覧ください。

2018年11月18日日曜日

11月25日(日)聖霊降臨後最終主日礼拝のご案内

★ 諏訪教会の礼拝は、毎週日曜日午後3時からです。




(旧約聖書)ダニエル書           7章9節~10節

(新約聖書)ヘブライ人への手紙      13章20節~21

(新約聖書)マルコによる福音書      13章24節~31節


いちじくの木から教えを学びなさい。


   『 みことばは滅びない 』 松岡 俊一郎 牧師 




            


どなたでも大歓迎です。教会に来てみてください。 ⇒地図はこちら 


     熊本及び九州各地で地震の被害に遭われた方々のために、
                      祈りましょう・・・


熊本地震 日本福音ルーテル教会九州教区対策本部
「できたしこ ルーテル」
クリックされると、できたしこルーテルのフェイスブックにアクセスできます。

「できたしこ」とは・・・・?

「できたしこで行こう!」とは、今自分のできるだけのことを担っていこう!それで十分!という熊本弁だそうです。


2011年3月11日に起こった東日本大震災から、7年半が経とうとしています。被害に遭われた方々の生活再建と、この悲劇が忘れ去られることのないよう、心よりお祈り申し上げます。日本福音ルーテル教会は、積極的にボランティアに参加しました。

ルーテルとなりびとをご覧ください。

2018年11月11日日曜日

11月11日(日)秋の墓前礼拝のご報告



11月11日礼拝前に、
秋の墓前礼拝を行いました。
水月園は、すっかり紅葉して、赤や黄色で山が美しく装われていました。

松岡俊一郎牧師から、墓前礼拝のメッセージを頂きましたので、ご紹介します。


人は出会う悲しみと寂しさに、「なぜ」と問いたくなります。たとえそれが、人が誰でも経験する死というものであったとしても、なぜこの人が、なぜ今と、次々に疑問が沸き起こってきます。しかしそれに誰も答えることができませんし、神様もそれに対して沈黙を守られるのです。この神さまの沈黙の前で、私たちはただおろおろするばかりです。いやそれだけでなく、沈黙されるからこそ、私たちの何故の思いは深まっていき、私たちを戸惑わせ、苦しめるのです。詩編の詩人は歌います神に、命の神に、わたしの魂は渇く。 いつ御前に出て神の御顔を仰ぐことができるのか。 昼も夜も、わたしの糧は涙ばかり。 人は絶え間なく言う「お前の神はどこにいる」と。人は思いをどこにもぶつけることが出来ず。ただ涙に象徴される悲しみと空虚さだけが人を包むのです。いったい神はどこにいるのか、と叫びたくなるのです。イエス・キリストは、十字架にかかられる前、ゲッセマネと呼ばれる園で祈られました。「父よ、できることなら、この杯をわたしから過ぎさらせて下さい。」十字架にかかって死ぬことが救い主の宿命だとわかっていても、イエス様は人としてその苦しみの前に不安がられ恐れられたのです。そして恐れと苦しみが去っていくように願われたのです。しかし神さまはこの祈りに対しても沈黙を守られました。神さまはなぜお答えにならないのでしょうか。神様がイエス様を愛し、人を愛しているならば、人が本当に困り、不安がり、さびしがり、恐れ、悲しんでいる時こそ答えるべきではないでしょうか。神様からの返事がないのならば、神なんていないのではないか、人にはそんな思いがよぎります。しかし神さまはこの沈黙の中におられるのです。沈黙の中におられるということは、人の不安、寂しさ、恐れと共におられるということなのです。沈黙されているからと言って、決して遠く離れておられるのでなければ、人を見捨てられているのでもありません。神さまは確かにそこにおられるのです。そして人が沈黙の中におられる神様を見出すのは、それまで与えられた普段の生活の豊かさ、喜びを思い出す時なのです。詩編の作者は「わたしは魂を注ぎ出し、思い起こす。喜び歌い感謝をささげる声の中を、祭りに集う人の群れと共に進み、神の家に入り、ひれ伏したことを。」と歌います。私たちは自分が苦しい時、悲しい時、さびしい時に神様を求めます。しかし神様はその時だけおられるのではありません。人が辛い時はもちろん、喜びの時、豊かで平安な時など、人の生涯にわたって共にいてくださるのです。


ご存じの方もあると思いますが、「足跡」という詩をご紹介します。


ある晩、男が夢をみていた。

夢の中で彼は、神と並んで浜辺を歩いているのだった。

そして空の向こうには、彼のこれまでの人生が映し出されては消えていった。

どの場面でも、砂の上にはふたりの足跡が残されていた。

 ひとつは彼自身のもの、もうひとつは神のものだった。

人生のつい先ほどの場面が目の前から消えていくと、

彼はふりかえり、砂の上の足跡を眺めた。

すると彼の人生の道程には、ひとりの足跡しか残っていない場所が、

いくつもあるのだった。

しかもそれは、彼の人生の中でも、特につらく、

悲しいときに起きているのだった。

すっかり悩んでしまった彼は、神にそのことをたずねてみた。

『神よ、私があなたに従って生きると決めたとき、

あなたはずっと私とともに歩いてくださるとおっしゃられた。

しかし、私の人生のもっとも困難なときには、

いつもひとりの足跡しか残っていないではありませんか。

私が一番にあなたを必要としたときに、

なぜあなたは私を見捨てられたのですか。』

神は答えられた。

『わが子よ。 私の大切な子よ。 私はあなたを愛している。

 私はあなたを見捨てはしない。

あなたの試練と苦しみのときに、ひとりの足跡しか残されていないのは、

その時はわたしがあなたを背負って歩いていたのだ。』」



私たちは神さまに与えられた恵みを思い起こすことによって、悲しみの時、寂しさの時、苦しみの時に神様が共におられることを知るのです。たとえ私たちが、神様が黙しておられると思っても、神さまは私たちと共にいて下さいます。この神様の真理を知る時には、私たちの悲しみと苦しみのうめきは、喜びへと変えられ、神様への讃美の歌となるでしょう。なぜうなだれるのか、わたしの魂よ。なぜ呻くのか。神を待ち望め。わたしはなお、告白しよう。 「御顔こそ、わたしの救い」と。


11月18日(日)聖霊降臨後第26主日礼拝のご案内

★ 諏訪教会の礼拝は、毎週日曜日午後3時からです。




(旧約聖書)列王記(上)       17章8節~16節

(新約聖書)ヘブライ人への手紙   9章24節~28

(新約聖書)マルコよる福音書    12章41節~44節


はっきり言っておく。
この貧しいやもめは、
賽銭箱に入れている人の中で、
誰よりもたくさん入れた。
皆は有り余る中から入れたが、この人は、
乏しい中から自分持っている物をすべて、
生活費を全部入れたからである。

   『 祈りの捧げもの 』 田中 博二 牧師 

 
           


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「できたしこ」とは・・・・?

「できたしこで行こう!」とは、今自分のできるだけのことを担っていこう!それで十分!という熊本弁だそうです。


2011年3月11日に起こった東日本大震災から、7年半が経とうとしています。被害に遭われた方々の生活再建と、この悲劇が忘れ去られることのないよう、心よりお祈り申し上げます。日本福音ルーテル教会は、積極的にボランティアに参加しました。

ルーテルとなりびとをご覧ください。

2018年11月4日日曜日

11月11日(日)聖霊降臨後第25主日礼拝のご案内

★ 諏訪教会の礼拝は、毎週日曜日午後3時からです。




(旧約聖書)申命記          6章1節~9節

(新約聖書)ヘブライ人への手紙   7章24節~28

(新約聖書)マルコよる福音書    12章28節~34節

イスラエルよ、聞け、私たちの神である主は、唯一の主である。
心を尽くし、力を尽くして、あなたの神である主を愛しなさい。

   『 あともう一歩 』 松岡 俊一郎 牧師 説教原稿 
           


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     熊本及び九州各地で地震の被害に遭われた方々のために、
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熊本地震 日本福音ルーテル教会九州教区対策本部
「できたしこ ルーテル」
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「できたしこ」とは・・・・?

「できたしこで行こう!」とは、今自分のできるだけのことを担っていこう!それで十分!という熊本弁だそうです。


2011年3月11日に起こった東日本大震災から、7年半が経とうとしています。被害に遭われた方々の生活再建と、この悲劇が忘れ去られることのないよう、心よりお祈り申し上げます。日本福音ルーテル教会は、積極的にボランティアに参加しました。

ルーテルとなりびとをご覧ください。