クリスマスは教会で・・・!
クリスマス・キャンドル礼拝
2024年12月24日(火) 19時~
日本福音ルーテル諏訪教会
(旧約聖書)イザヤ書 9章1節~6節
(新約聖書)テトスへの手紙 2章11節~14節
(新約聖書)ルカによる福音書 2章1節~14節
説教 「クリスマスが世界を変えた」
浅野 直樹 牧師
皆さんはこんなテレビ・コマーシャルをご覧
になられたことはないでしょうか。確か、「ア
イフル」という会社のコマーシャルだったと思
いますが、おそらく瀬戸内寂聴さんを模してい
るのでしょう、尼僧の格好をした女優の大地真
央さんが、お寺にありがたいお話しを聞きにき
ている聴衆に向かって、「もし、この世から愛
がなくなってしまったら、あ行は『う〜』と
『え〜』と『お〜』だけになってしまう」と言
うのです。思わず、「クスクス」となってしま
うのは私だけでしょうか。「もし、この世から
愛がなくなってしまったら・・・」、何か仰々
しい蘊蓄のあることを言うのかと思いきや、あ
行の話をしだす。「なんでやねん」と思わずツ
ッコミたくなります。
それはともかく、歴史に「もし」はないとは
よく言われますが、古今東西「もし、◯◯だっ
たら」という思いは、どうしても起こってきや
すいものではないでしょうか。
皆さんなら、どんな「もし、◯◯だったら」
を思い浮かべるでしょうか。今日はクリスマ
ス・イヴ。せっかくですので、ひととき、「も
し、イエス・キリストが生まれなかったなら」
ということに思いを巡らせていければと思いま
す。
「もし、イエス・キリストが生まれなかった
なら」。もちろん、クリスマスはないでしょう
ね。クリスマスがなければ、クリスマスの飾り
付け、イベントもない。クリスマス・ツリーも
プレゼントを贈り合うこともなかったかもしれ
ない。街中の煌めくイルミネーションも、クリ
スマス商戦も、街の賑わいも、ケーキにチキン
にパーティーもなかったかもしれない。サンタ
クロースも。なんだか、寂しくなります。
それだけではなかったでしょう。「もし、イ
エス・キリストが生まれなかったなら」、当然
教会もありません。キリスト教なるものもなく
なってしまう。教会がないと言うことは、ひょ
っとして、学校も病院も福祉もなくなってしま
うかもしれない。それらは修道院が発祥だと言
われるからです。犠牲的精神、愛の奉仕も、博
愛精神もなくなってしまうかもしれない。あの
マザー・テレサもいないことになってしまうか
もしれない。
もちろん、歴史を紐解けば、いつも教会が正
しいことをしてきたわけではないことも明らか
です。間違いも多く犯してしまったのも事実。
しかし、教会が、キリスト教が、キリスト者た
ちがこの世界に、社会に貢献してきたことも紛
れもない事実だと思います。「もし、イエス・
キリストが生まれなかったなら」、そういった
教会の貢献も全部なかったことになるのかもし
れない。
先ほどは街中のイルミネーションの話をしま
したが、そう考えていきますと、なんだかその
明かりが一つ一つ消されていくようにも感じま
す。クリスマスがあるからこそキラキラと輝い
ている。しかし、もしクリスマスがなければ、
その光が消えてしまうだけ。この世界は今以上
に、もっともっと暗い、光のない世界になって
いたかもしれない。それが、クリスマスのない
世界。
「もし、イエス・キリストが生まれなかった
なら」「もし、クリスマスがなかったなら」、
今私たちがここに集うこともなかった。しか
し、今、私たちはここに集っている。皆さんの
手の中には、蝋燭の光が灯っている。クリスマ
スがあるから。イエス・キリストが、確かに私
たちのためにお生まれくださったから。だから
私たちは光をいただくことができた。私たちの
手のひらに、いいえ、何よりも心の中に、その
光をいただくことができた。だから、勇気を失
わないのです。希望を失わないのです。教会が
様々な貢献をして来れたように。
「神は、その独り子をお与えになったほどに
世を愛された。独り子を信じる者が一人も滅び
ないで、永遠の命を得るためである。」「わた
したちが神を愛したのではなく、神がわたした
ちを愛して、わたしたちの罪を償ういけにえと
して、御子をお遣わしになりました。ここに愛
があります。」「わたしがあなたがたを愛した
ように、互いに愛し合いなさい。これがわたし
の掟である」。
クリスマスは、幸にして「もし」の出来事で
はありませんでした。確かな出来事として私た
ちの世界で起こったのです。そのことを改めて
深く覚え、感謝するこのクリスマスでありたい
と心から願っています。
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