諏訪教会の礼拝は、毎週日曜日午後3時から始まります。
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宗教改革主日とは?
ローマ教皇がドイツにおいて贖宥状を発売
したことに対して、1517年、ルターが『95
条の論題』を発表して批判したことから、ド
イツの窮境改革が始まりました。
ルターは「信仰によってのみ義とされる」
と説き、その理念はローマ教会の「信仰と善
行によって救済される」という競技と鋭く対
立することとなり、ドイツは大きな混乱に巻
き込まれました。
時の神聖ローマ皇帝カール5世は1521
年のヴォルムス帝国議会でルターに教義撤回
を迫りましたが拒否されたため、ヴォルムス
勅令を発してルターを異端と断定、追放に処
しました。
ルターはザクセン選帝侯フリードリヒに保
護され、聖書のドイツ語訳を完成させました。
『聖書』やルターの主著『キリスト者の自由』
は、活版印刷によって民衆の間に新しい宗教
観を浸透させることとなりました。
★ルターは聖書をドイツ語で読めるようめに、
1522年ヴァルトブルグ城で新約聖書をギリ
シャ語から翻訳し、1534年には新旧約聖書
のドイツ語訳を完成させました。
ルターはまた、讃美歌を牧師と聖歌隊だけで
なく、会衆全員が歌えるように改革し、自身
でも多くの賛美歌を作り聖歌集を編纂しました。
「讃美歌」にはルターの作品が3曲あります。
ルターの代表作であると同時に,プロテスタ
ント讃美歌の代表作であり、宗教改革の進軍
の凱歌といわれています。
1529年の少し前に作られましたが、瞬く間
に全ドイツ始め,ヨーロッパ各地に普及し、
プロテスタントの信仰を広めるのにあずかっ
て力がありました。1529年4月20日、ルタ
ーの改革を支援したドイツの福音的諸侯はシュ
パイエル会議で改めて自由のためにプロテス
トしたので、この時よりルターに与する新教
徒は「プロテスタント」と呼ばれるようにな
りました。この讃美歌の原旋律は古いラテン
語聖歌の中に発見されました。
この讃美歌は、ウイッテンベルグの城教会で
のルターの埋葬式(1546年)でも歌われまし
た。クリックして聴いてみてください。
★ 主日の祈り
恵み深い天の父である神様。
御子イエス・キリストによって、聖なる公同の教会を
真理と平和で満たしてください。御子により、腐敗を
きよめ、過ちを改め、正しいところを強め、必要を満
たし、分かたれた二つを一つに戻してください。
あなたと聖霊とともにただ独りの神、永遠の支配者、
御子、主イエス・キリストによって祈ります。
アーメン
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