お知らせ 短縮礼拝!!!
2021年1月31日日曜日
2021年1月24日日曜日
1月31日(日)顕現後第4主日礼拝のご案内
お知らせ短縮礼拝!!!
(旧約聖書)申命記 18章15節~20節
(新約聖書)コリントの信徒への手紙一
8章1節~13節
私たちの父なる神と主イエス・キリストから恵みと平安とが、
あなたがたにあるように。アーメン
今日の福音書を理解するには、「ここで一体何が起こり」、「この者が何者なのか」ということを踏まえておく必要があります。おそらく、キリスト者からすると、今日の福音書の主イエスの言動と、彼が何者なのかということはすでに理解されているので、取り立てて今日の福音書は難しい記述ではないと思います。
しかし、今日の福音書を通して「ここで一体何が起こり」、「この者が何者なのか」ということを、ご一緒に、改めてふまえていきたいと思うのです。新鮮に、新しい気持ちで今日の福音書を読んでいきたいと思います。
主イエスは、安息日に教え始められます。彼の教えは律法学者のようではなかったと書かれています。当時の律法学者は、知識があり博学な旧約聖書の専門家です。当時の宗教、政治、司法に幅広く関っていました。その律法学者の教えと異なっていたのが、主イエスの教えでした。「権威」があったと書かれています。福音書では主イエスの権威ある教えの内容については具体的に何も書かれていません。しかし、民衆の応答を見ると、「その教えに非常に驚いた」と書かれています。つまり、主イエスの言葉そのものに、他の律法学者では見られない力があったということです。民衆は「新しい教え」という表現をしています。これは、ただ新しいという意味ではありません。これまでにない、まったく聞いたことのない、という意味です。主イエスは、ここで旧約聖書の言葉について誰も聞いたことのない力ある言葉を語られたのです。
この権威ある教えということに、もう一つ関わるのが、汚れた霊に取りつかれた男を癒すことです。この癒しのみ業から、改めて民衆は主イエスには権威があることを理解するのです。この福音書の時代、汚れた霊を追い出すことは大切な救いの働きでした。何度も福音書には汚れた霊を追い出す記述が出てきます。この汚れた霊とは、捉え方は様々です。しかし、当時から現代まで「デモーニッシュ」なものが存在することは確かであると思います。「デモーニッシュ」、つまり<悪魔的な>とも日本語に訳されるでしょうか。人間の心の深い闇の面だけではなく、この社会に悪魔的な諸力があることを認めざるを得ないと思います。犯罪や戦争、核爆弾のような表に現われているものだけではなく、この社会の隅々に悪魔的な諸力があると、言えると思うのです。主イエス・キリストは、十字架と復活の中で、この悪魔的な諸力に勝利された方であることを今日はおさえておきたいと思います。
この汚れた霊、実は今日の福音書の中で大切な告白をするのです。霊が主イエスと出会った時の叫びがポイントです。マルコによる福音書1章24節
「ナザレのイエス、かまわないでくれ。我々を滅ぼしに来たのか。正体は分かっている。神の聖者だ。」
この言葉、汚れた霊に取りつかれた男の信仰的な告白であり、大変的をついた言葉です。「我々を滅ぼしに来たのか」と言います。先ほどお話しした通り、悪魔的な諸力を滅ぼすことが主イエスの救いのみ業でした。「正体は分かっている。神の聖者だ」という言葉、神から遣わされている主イエスの本質をつく表現です。汚れた霊はこの後、追い出されるのですが、その叫びの中で、主イエスにぐさりとその本質を突くような告白をするのです。
ここから今日の福音書の冒頭の問いかけに戻ります。「ここで一体何が起こり」、「この者が何者であるのか」という問いかけです。一人の霊に取りつかれた男が癒しを受けて、主イエスが神の聖者であると告白することになるのです。私たちは、この告白を新しい思いをもって聞き、今、この出来事が私たちの目の前に展開されていることをおさえておきたいのです。民衆の驚きは、私たちの驚きでもあります。この出来事のただ中で、民衆の声と私たちの声がリンクします。マルコによる福音書1章27節。
「これはいったいどういうことなのか。権威ある新しい教えだ。この人が汚れた霊に命じると、その言うことを聴く。」
この驚き、この気づき、主イエスへの新しい発見です。ナザレ出身の男が、霊に取りつかれた男を癒し、神のみ業を行われたのです。この新しい出来事に、私たちも、今、この場にてあずかっているのです。単なる過去の出来事ではありません。主イエスの働きは、私たちの目の前でも展開され、癒しの出来事がここにおいても起こっているのです。この驚きを、私たちは当時の民衆とともに、今日の礼拝でも共有したいと思うのです。当時の民衆の驚きは、今、ここにいる私たちの驚きでもあるのです。
福音書の語りは現在形です。過去の出来事を淡々と書いてあるのではなく、このみ言葉を読む私たち一人一人にも現在形で語りかけるのが福音書の言葉です。会堂で教え始めた主イエスの言葉にこのような言葉があります。ルカによる福音書4章21節。
「この聖書の言葉は、今日、あなたがたが耳にしたとき、実現した。」
この言葉の通り、汚れた霊に取りつかれた男の癒しと主イエスの権威ある教えは、今、私達が実際に耳にし、目に見ている出来事なのです。今日は、福音書の書かれている出来事が、今、私たちにも現在形で分かち合われていることをおさえたいと思います。主イエスの力あるみ業は私たちの、今、この礼拝においても具体的に展開されているのです。
主イエス・キリストが神の聖者であること。この叫びは、私たちの信仰の告白でもあります。この事実をあらためて今日、この礼拝で分かち合いたく思います。
主イエスは確かに、権威ある教えを語ったのです。この神の聖者は、その伝道の開始から力を現し、これまで聞いたことのない言葉を権威をもって語り、そして癒しのみ業を行いました。今日の礼拝は、この驚きの出来事を皆さんと共有し、主イエスがまことに神のみ子であると告白したく思います。
最後になりますが、私たちは主イエスへの信仰の告白と共に、今日の福音書の語りにも、アーメン、その通り、と告白したく思います。
2021年1月17日日曜日
1月24日(日)顕現後第3主日礼拝のご案内
お知らせ短縮礼拝!!!
(旧約聖書)ヨナ書 3章1節~5節、10節
(新約聖書)コリントの信徒への手紙一
7章29節~31節
2021年1月10日日曜日
1月17日(日)顕現後第2主日礼拝のご案内
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(旧約聖書)サムエル記上 3章1節~10節
(新約聖書)コリントの信徒への手紙一
6章12節~20節
2021年1月3日日曜日
1月10日(日)主の洗礼日礼拝のご案内