2026年5月3日日曜日

5月10日(日)復活節第6主日礼拝のご案内

 諏訪教会の礼拝は、毎週日曜日午後時から始まります

教会は、誰でも自由に来ることができます。
わたしたち諏訪教会は、
いつでもあなたをお待ちしています。




















★ 主日の祈り

永遠に生きておられる全能の神様。

あなたは、天と地のすべてを一つに結びあわせてく

ださいます。

豊かな憐れみによって、あなたのすべての子どもた

ちの祈りを聞き入れ、全世界に真理と平和の聖霊を

授けてください。

あなたと聖霊とともにただ独りの神、永遠の支配者、

御子、主イエス・キリストによって祈ります。

アーメン

 




(新約聖書)使徒言行録 

       17章22節~31節                                                                       (新約聖書)ペトロの手紙(一)

       3章13~22節

(新約聖書)ヨハネによる福音書    

       14章15節~21節

あなたがたは、私を愛しているならば、
わたしの掟を守る。
わたしは父にお願いしよう。
父は別の弁護者を遣わして、
永遠にあなたがたと一緒に
いるようにしてくださる。
この方は、真理の霊である。


















「 真理の霊 

       秋久 潤 牧師 

 日本にキリスト教が伝来したのは、今から470

ほど前の戦国時代末期のことでした。ヨーロッパ

からやって来た宣教師たちは、病気の貧しい人の

ための施設を建て、捨てられていく子供たちを救

済する働きをしました。争いのために困窮し、見

捨てられ、虐げられた人々を支える働きは、地域

に広く受け入れられていきました。

   この頃、宣教師たちは「愛する」という言葉を

「大切にする」という言葉に置き換えて、人々に

伝道しました。「神の愛」という言葉を「デウスの

御大切(ごたいせつ)」、すなわち「神の御大切」

と伝えたのです。「愛」という言葉が、恋愛的な愛

と混同されるのを避けるためでした。

  何を大切にするかにおいて、大事なことは「人

を大切にする」ことです。もちろん、「物を大切に

する」ことなどもそれなりに大事でしょう。しかし、

「人を大切にする」ことよりも「物を大切にする」

ことを優先させると、過ちが起き、罪が生じてしま

うのです。日本のある昔話の、殿が大事にしていた

皿を誤って割ってしまった召使いを罰として殺した

話は、まさにそれを物語っています。

  「神の御大切」とは、命ある私たち一人一人の人

間に向けられている言葉です。神が大切にされてい

るのは、私たちの持ち物・財産・身分等ではありま

せん。神がかけがえのないものとして大切にされて

いるのは、すべての付随物や肩書きが取り払われた、

生身の私たち一人一人なのです。 

  現在の、非人道的で危機的な世界情勢の中で、心

が凍てつき、塞ぎ込み、抑圧された気持ちになって

いる人は多いと思います。そのような状態のときの

心には、「愛する」という言葉がまぶしすぎて、相入

れなく感じることもあるのではないでしょうか。そ

のような時は、「愛する」という言葉の代わりに、

「大切にする」という言葉の方が心に響いてくるか

もしれません。

  本日の福音書には、「愛する」という言葉が繰り

返し出てきます。この「愛する」という言葉を、ぜ

ひ今日は、「大切にする」という言葉に置き換えて

読んでみてください。十字架の死が間近に迫る中、

イエスは弟子たちにこう言います。「あなたがたは、

わたしを愛しているならば、わたしの掟を守る」。

  この「愛している」を、「大切にしている」と

いう言葉に言い換えて読んでみます。「あなたがた

は、わたしを大切にしているならば、わたしの掟

を守る」。

 イエスを大切にすることは、人間同士が互いに

大切にし合うことです。イエスを大切にするよう

に、敵であっても、気に入らない人物であっても、

その相手を大切にすることです。そしてイエスは、

次のように約束してくださるのです。「わたしは父

にお願いしよう。父は別の弁護者を遣わして、永

遠にあなたがたと一緒にいるようにしてくださる」。

 イエスがここで言われた、父なる神にお願いし

て、ご自分が去ったあとに弟子たちに遣わす「別

の弁護者」とは、聖霊のことです。聖霊とは、真

理の霊です。イエスは決して弟子たちとの関わり

を絶って去るのではありません。イエスは、ご自

分が地上にいなくなったあとも、代わりに聖霊を

私たちのもとに送って、私たちを助け続けること

を約束してくださったのです。

 私たち人間は、誰もがいつの日かこの世の生を

終えます。そして、人の姿をもって天から降られ

たイエスの地上の生涯にも限りがありました。し

かし、イエスと弟子たちとの交わりは、イエスの

地上での生涯の終わりと共に終了するわけではな

いのです。これは私たちと全ての大切な人との別

れにおいても言えることです。

 「しばらくすると、世はもうわたしを見なくなる」

とイエスは言います。これは、イエスが地上を去

ることを意味しています。ですが、次にイエスは喜

びの約束を私たちにしてくださいます。「あなたが

たはわたしを見る。わたしが生きているので、あな

たがたも生きることになる」。

 「わたしが生きている」とは、「わたしは十字架の

死を超えてさらに生きている」、すなわち「復活の

命を生きている」という意味です。ここでの「生き

ている」には、「生き続ける」という意味がありま

す。イエスが復活の命を生き続けておられ、だから

こそ私たちもイエスから送られる真(まこと)の命

を受けて生き続けることができるのです。

 生きるとは、神の霊を与えられた存在として、祝

福され、赦されて生きることを意味しています。今

日(こんにち)、多くの人々にとって、この世を生き、

自分の人生を生きることは、祝福よりも重荷と苦し

みを感じるものになっているかもしれません。生き

る意味や目標が見出せず、ただ自分の肉体が生きな

がらえているだけのような空虚な気持ちになること

もあるでしょう。

 しかし、そんな迷える存在である私たち人間に、

イエス・キリストは「わたしが生きているので、あ

なたがたも生きる」と言ってくださっているのです。

 本日の福音書の最後に記されているイエスの「愛

する」という言葉を、「大切にする」に言い換えて読

んでみます。「わたしの掟を受け入れ、それを守る人

は、わたしを大切にする者である。わたしを大切に

する人は、わたしの父に大切にされる。わたしもそ

の人を大切にして、その人にわたし自身を現す」。

 イエスを大切にするとは、他者を大切にすることで

もあります。敵・味方にかかわらず、自分の好き嫌い

の感情に流されず、他者の内にイエス・キリストを見

て、他者を大切にする人は、自分自身も父なる神に大

切にされるのです。

 絶対に許すことができないと感じる相手の中にも、

イエス・キリストの姿を見ることで、私たちは、神の

赦しに近づくことができるのだと思います。

 さて、今日は「愛する」を「大切にする」という言

葉に置き換えてお話しさせていただきました。そして

最後は「愛」という言葉に戻りたいと思います。

 私たちは、愛の祈りをしましょう。イエス・キリス

トが私たちに与えてくださった愛をもって、この世に

おいて、愛の祈りをしましょう。

傷ついたこの世界の回復を、心から祈りましょう。

 私たちが、いま試練の中で苦しんでいる人々と、共

に苦しみ、共に希望をもち、共に喜ぶことができます

ように。

 

 どんな時も、イエス・キリストが私たちと共にいて、

私たちと共に悲しみ、私たちと共に嘆き、私たちと共

に喜んでくださいますように。

 主イエス・キリストの御名を通して祈ります。

アーメン

 


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