諏訪教会の礼拝は、毎週日曜日午後3時から始まります
秋久 潤 牧師
先日の7月28日(火)の熊本地震によって被災され
た皆様に、心よりお見舞い申し上げます。皆様とご家
族の安全を、心よりお祈りしています。そして、亡く
なられたかたのことを思い、お祈りいたします。
本日は「平和の主日」です。私たちは、この世界と
私たちの心に平安がもたらされることを心から求め、
神に祈りましょう。
マザー・テレサはこう言いました。「平和は微笑み
から始まります」。微笑みには、大きな力があります。
微笑みは、人の心を癒し、喜びの光を与えます。マザ
ー・テレサは、「単なる笑顔であっても想像もできな
いほどの可能性がある」のだと言いました。彼女は、
インドの貧民街で貧しい人や重病人のために活動する
時、どんなに大変な中でも微笑むことを忘れなかった
のです。
マザー・テレサはこうも言いました。「誰かに微笑
みかけること、それは愛の表現であり、その人への素
晴らしい贈り物となるのです」。
微笑みは、ささやかな温かい愛を相手に伝えます。
そして、微笑みをもらった人の心も、与えた人の心
も、微笑みによって温かさに満たされ豊かになるので
す。自分自身が疲れている時などは微笑むのも難しく
なるし、腹が立っている時などはなおさらです。でも
そんなときだからこそ、自分から目の前の人に微笑む
ことは、ささやかな愛の始まりなのです。微笑みによ
って心に平安が生まれ、喜びがもたらされるのです。
本日の福音書には、愛についてのイエスの教えが記
されています。これは、イエスが十字架にかかる前の
夜、最後の晩餐の席で弟子たちに語った言葉でした。
イエスは、御自分の命を懸けた十字架の愛で弟子たち
を愛しながら、「わたしがあなたがたを愛したように、
互いに愛し合いなさい」と伝えたのです。
旧約聖書でも、自分自身を愛するように隣人を愛せ
と命じています(レビ記19:18)。しかし古くからある
この愛の掟に、イエスの「わたしがあなたがたを愛し
たように」という言葉が加わったことによって、イエ
ス・キリストによる「新しい愛の掟」が完成したので
す。
イエスは「これがわたしの掟である」と言われまし
た。イエスはこの新しい愛の掟を私たちに与え、私た
ちに「自分たちの愛」だけで愛し合うことなく、聖霊
が私たちの心に吹き込んだ「キリストの愛」をもって
愛するように招いているのです。
聖書に「神は愛です」と記されているように、イエ
スの愛は、神に起源をもっています(Iヨハネ4:16)。
イエスの説く愛は、神に根ざしており、イエスご自身
に神の愛が与えられたことから来ています。この神の
愛が、イエス・キリストによって私たちに与えられた
のです。
イエスはこう言われます。「これらのことを話した
のは、わたしの喜びがあなたがたの内にあり、あなた
がたの喜びが満たされるためである」(ヨハネ15:11)。
ここで満ちあふれるものは喜びです。イエスの喜び
とは、父なる神の愛にとどまっていることです。
私たちの喜びは満たされず欠けを感じることがあり
ますが、イエスの喜びは最初から満たされています。
神の喜びは常に完全なのです。
イエスの愛によって私たちの心に喜びが満ち溢れま
す。愛は喜びを溢れさせ、喜びは愛と共にあります。
真(しん)の喜びには、必ず愛が伴います。愛される
喜びと愛する喜びはひとつです。イエスの喜びは、私
たちを愛する喜びです。そして私たちの喜びは、イエ
ス・キリストに愛され、イエス・キリストを愛する喜
びです。
神は天地創造のとき、エデンの園を造られました
(創世記2:8)。エデンは「喜び」「幸福」という意味
です。神が本来人間のために造られたものは、美しく、
完全な、善いものでした。ですから本来、私たちは天
真爛漫な喜びに満たされて生きる者として造られたの
です。
人間にとって、最大の喜び、無上の喜びを感じるの
はどのような時でしょうか。それはやはり、自分が愛
されていると感じる時、自分が愛を感じている時では
ないでしょうか。
喜びと愛は、互いに切り離されることがありませ
ん。たとえば、人の不幸を喜ぶなどの愛が伴わない
喜びは、本当の喜びではありません。
大きなことから小さなことまで、私たちが何かに喜
びを見出している時は、愛を見出している時なので
す。人間の心の内には、喜びや悲しみ、不安や恐れ、
愛や憎しみなど、様々なものがあります。自己の内側
が、いつどんな時でも、愛と喜びのみに溢れている人
はいないと思います。
私たちは、日々の中で、心の内が不安や恐れに支配さ
れることがあるでしょう。ですがそんな時は、今この
瞬間はそうでも、このあと必ず心の内が、愛と喜びに
満たされる時があることを信じてください。
一日の中において、人生の中において、私たち人間
の心の内が愛と喜びに満たされる時があるということ
が、神から人間に与えられた大きな恵みなのではない
でしょうか。
私たちの人生において、あんなに頑張ったのに報わ
れなかった、心が傷つく結果で終わったと感じさせら
れることがあると思います。こんなことなら、初めか
ら何もしなければ良かったと後悔することもあるかも
しれません。ですが、頑張ったことに対して、直接的
には報われなかったり成果を出すことができなかった
としても、その頑張りは、のちに他のことで必ず報わ
れると信じてください。
そして自分自身に「あんなに頑張ったんだから、
絶対に報われるよ」「絶対にいいことがあるよ」と声
に出して語りかけ、一人でも、自分自身に向けて微笑
んでみてください。
私たちは、どのような試みの中にいる時も、その奥
にある神の御心と愛と共に、この世界に微笑みを向け
続けましょう。
お祈りをいたします。
神様。御名を賛美いたします。熊本地震で被災され
た方々が守られますように、あなたの力をお与えくだ
さい。私たちが心と思いを熊本に向け、熊本地震のた
めに私たちができることを行う力をお与えください。
主イエス・キリストの御名によって祈ります。
アーメン











