2026年4月5日日曜日

 諏訪教会の礼拝は、毎週日曜日午後時から始まります

教会は、誰でも自由に来ることができます。
わたしたち諏訪教会は、
いつでもあなたをお待ちしています。











イースターとは・・・?

復活祭とは、一度死んだイエス キリストが復活し
た日であり、そのお祝いのことです。生命の復活を
お祝いするという意味から、卵 (イースターエッグ)
 や多くの子供を持つウサギ (イースターバニー) な
どがシンボルとなっています。イースターが来ると、
やっと春が訪れる実感が湧きます。
この日、庭に隠したカラフルなゆで卵を子供たちが
探す遊びも世界中で行われています。

Easter (イースター) は、毎年日付が変わります。
3 月 22 日 ~ 4 月 25 日の間の日曜日になります。
今年は4月5日です。
復活祭は、クリスマスと並んで、教会では大事なお
祝いです。



★ 主日の祈り

全能・永遠の神様。

あなたは信じる者の力です。

疑う私たちを、見ないで信じる信仰によって、キリ

ストの豊かな祝福に与からせてください。

あなたと聖霊とともにただ独りの神、永遠の支配者、

御子、主イエス・キリストによって祈ります。

アーメン

 




(旧約聖書)エレミヤ書 

       31章1節~6節                                                                       (新約聖書)コロサイの信徒への手紙

       3章1~4節

(新約聖書)マタイによる福音書    

       28章1節~10節


トマスの不信
カラバッジョ Caravaggio
サンスーシギャラリー
1601-1602年


イエスはトマスに言われた。
「私を見たから信じたのか。
見ないのに信じる人は、幸いである。」






「 平和 
        秋久 潤牧師

2026年3月29日日曜日

4月5日(日)主の復活主日礼拝のご案内

 諏訪教会の礼拝は、毎週日曜日午後時から始まります


イースターとは・・・?

復活祭とは、一度死んだイエス キリストが復活し
た日であり、そのお祝いのことです。生命の復活を
お祝いするという意味から、卵 (イースターエッグ)
 や多くの子供を持つウサギ (イースターバニー) な
どがシンボルとなっています。イースターが来ると、
やっと春が訪れる実感が湧きます。
この日、庭に隠したカラフルなゆで卵を子供たちが
探す遊びも世界中で行われています。

Easter (イースター) は、毎年日付が変わります。
3 月 22 日 ~ 4 月 25 日の間の日曜日になります。
今年は4月5日です。
復活祭は、クリスマスと並んで、教会では大事なお
祝いです。



★ 主日の祈り

神様。

あなたは私たちの贖いのため御独り子を十字架の死

に渡し、栄光の復活によって死の力から私たちを解

放してくださいました。

私たちが日ごとに罪に死に、復活の喜びのうちに御

子と共に永遠に生きることができるようにしてくだ

さい。

あなたと聖霊とともにただ独りの神、永遠の支配者、

御子、主イエス・キリストによって祈ります。

アーメン

 




(旧約聖書)エレミヤ書 

       31章1節~6節                                                                       (新約聖書)コロサイの信徒への手紙

       3章1~4節

(新約聖書)マタイによる福音書    

       28章1節~10節

イエスは言われた。
「恐れることはない。
行って、わたしの兄弟たちに
ガリラヤへ行くように言いなさい。
そこでわたしに会うことになる。」


















「 復活なさった
        秋久 潤牧師

 本日は、十字架上で死んだ、私たちの主イエス・
キリストが、三日目に復活したことを覚える復活祭、
イースターの日です。
 本日の福音書は、イエスが十字架の死のあとに葬
られた墓を、二人のマリアが見に行った時、天から
降ってきた天使からイエスの復活を告げられた場面
です。
 聖書において、たびたび天使が登場する場面があ
ります。天使は、天上と地上をつなぐように、神と
私たちの橋渡しをし、神からのメッセージを伝える
役割を果たすのです。
 イエスは生前、自分は三日目に復活する、と言っ
ていました(マタイ16:21、17:23、20:19)。イエス
を十字架につけた人々は、イエスの弟子たちがイエ
スの遺体を盗み出し、イエスは死者の中から復活し
たと言いふらして民衆を惑わすことを警戒しました
(27:64)。そこでユダヤの指導者たちは、イエスの
墓に番兵を置きました。見張り役だった番兵たちは、
天から降ってきた天使が稲妻のように輝き、その衣
は雪のように白く、明らかにこの世のものではない
姿に恐れて震え上がり、死人のようになりました。
 突然の天使の出現に、二人のマリアも恐れを感じ
たことでしょう。そんな女性たちに対して、天使は
「恐れることはない」と語りかけます(5節)。
 さらに天使は、彼女らにイエスの復活を告げます。
もともと彼女たちは、イエスを慕う気持ちから、イ
エスの亡骸が葬られている墓を見に来ました。しか
し墓で遭遇した天使が「あの方は、ここにはおられ
ない」と言うように、イエスの遺体はもうそこには
ありません。死の中に、イエスはもういないのです。
 「あの方は死者の中から復活された」と、神の言葉
を伝える天使が告げました(7節)。十字架で死んだ
イエスを、神が死から復活させたのです。復活の体
は、神の栄光を輝かせている体です。
 「かねて言われていたとおり、復活なさったのだ」
と天使が言うように、イエスの復活は、あらかじめ
予告されていたものでした(6節)。マタイ16章21節
に、イエスが弟子たちに、御自分が必ずエルサレム
に行って、長老、祭司長、律法学者たちから多くの
苦しみを受けて殺され、三日目に復活することにな
ていると打ち明けたことが記されています。
 生前のイエスからそのように伝えられていたにも
かかわらず、弟子たちはイエスの復活を待ち受ける
心の準備をしていませんでした。弟子たちは、イエ
スが三日目に復活することを信じていたわけではな
く、イエスが殺されたあと、自分たちにも被害が及
ぶことを恐れて、隠れて息を潜めていました。いわ
ば彼らは、不甲斐無い弟子たちでした。
 しかし、イエスを裏切った引け目と迷いの中にい
る弟子たちを、イエスの方は決して見捨てていなか
ったのです。イエスの墓を訪れた女性たちに、天使
が現れ、イエスの復活を弟子たちに伝えるように命
じます。また、イエスが彼らよりも先にガリラヤに
行かれるので、そこでイエスにお目にかかれると告
げます(7節)。
 女性たちが恐れながらも大いに喜び、弟子たちに
知らせるために走って行くと、今度は天使ではなく、
イエス本人と出会います(9節)。イエスは、先ほど
の天使と同じ次のことを女性たちに伝えます。「恐れ
ることはない。行って、わたしの兄弟たちにガリラ
ヤへ行くように言いなさい。そこでわたしに会うこ
とになる」(10節)。
 ガリラヤは、弟子たちが生活していた地であり、
弟子たちがイエスと初めて出会った地でした。ここ
で言われているのは、あなたが生活し、イエスと出
会ったその場へ行きなさい、ということです。そし
てそれは、「戻る」のではなく、「そこから新たに出
発しなさい」ということです。それは、神の無償の
赦しと、神との関係性の回復、そして新たな出発の
約束でした。
 ガリラヤは、イエスと弟子たちが出会い、イエス
の言葉が語られ、イエスの業(わざ)が行われた場
所です。そのとき弟子たちは、イエスが語ったこと
や行(おこな)ったことの本当の意味は分かってい
ませんでした。そして本当の意味が分からぬまま、
イエスとの別れの日が来たのです。
 しかし今、復活の栄光の中で再びイエスと出会い
直すために、原点となるガリラヤへ行きなさいと、
弟子たちは告げられます。神の御業と、神の深い計
画に信頼して歩みを起こす人たちは、神の計らいの
うちにイエスと再び出会います。
 主イエス・キリストの、十字架の死を超えた復活。
これがキリスト教信仰の出発点です。死によってす
べてが終わり閉じられるのではありません。神がそ
の いのちをつかさどり、神との永遠の交わりの中で、
私たちはキリストと共に新たに生き始めるのです。
 死は、復活のいのちに至る新しい命の門であり、
門出です。イエス・キリストは、墓にはもはやおら
れない。イエスの墓の前で、イエスの復活を告げる
天使の言葉がありました。それは死をも超えた、救
いと希望を知らせる言葉でした。
 
 主イエス・キリストは死に打ち勝って、復活したの
です。

 キリスト者である内村鑑三(うちむらかんぞう:
1861年−1930年)は、こう述べています。「愛するこ
と、これこそ勝つことである。憎むこと、これ負ける
ことである。愛をもって勝つことだけが永久の勝利な
のである」。
 さて、新たな出会いの季節である4月に入りました。
新たな出会いとは、全く初めての人と出会うことだけ
でなく、イエスと弟子たちのように、過去に関わりの
あった人と、単なる再会ではない、新しく出会い直す
ことも含まれているでしょう。
 「求めよ。さらば与えられん」とイエスは言います
(マタイ7:7)。神は、私たちが求めるなら、与えてく
ださいます。そして、求めることと、奪うことは違い
ます。私たち人間は、奪おうとするのではなく、真摯
に心から求めなければならないのです。
 私たちは、この地上に、同時ではなく一人一人別々
に生まれ、別々に死んで行く存在です。
 だからこそ私たち人間は、お互いの世界観や在り方
を尊重し、この地上で、人と人、国と国が、ゆるしと
愛と平安をもって共に歩んでいけるように祈りましょ
う。
 私たちは、イエス・キリストが復活した、このイー
スターの時を、喜び祝いましょう。
 イエスが十字架上で死に、三日目に復活したこの時、
絶望は希望へ、悲しみは喜びへ変わったのです。
その喜びは、満ち溢れる喜びであり、歓喜です。

 イースター、おめでとうございます。溢れる神の愛
恵みが、あなたに与えられますように。

 お祈りをいたします。
 天の父なる神様。私たちが、自分の求めているもの
に気付き、あなたが語られた言葉や、これまで私たち
が出会ってきた人やものと、御心によって新たに出会
い直すことができますように。復活の主イエス・キリ
ストによって祈ります。
アーメン

       


2026年3月22日日曜日

3月29日(日)主の受難主日礼拝のご案内

 諏訪教会の礼拝は、毎週日曜日午後時から始まります


教会は、誰でも自由に来ることができます。
わたしたち諏訪教会は、
いつでもあなたをお待ちしています。












★ 主日の祈り

永遠の神様。

あなたは人類への限りない愛によって、御子、主イ

エス・キリストを遣わされました。

主は人となられ、十字架の死を死なれました。

御心に従い、栄光の復活をなさった主の生涯に従う

ことができるよう、私たちを憐れんでください。

あなたと聖霊とともにただ独りの神、永遠の支配者、

御子、主イエス・キリストによって祈ります。

アーメン

 




(旧約聖書)イザヤ書 

       50章4節~9節a                                                                       (新約聖書)フィリピの信徒への手紙

       2章5~11節

(新約聖書)マタイによる福音書    

       27章11節~54節

さて、昼の十二時に、全地は暗くなり、
それが三時まで続いた。
三時ごろ、イエスは大声で叫ばれた。
「エリ、エリ、レマ、サバクタニ」
これは、「わが神、わが神、
なぜわたしをお見捨てになったのですか。」
という意味である。



















「 エリ、エリ、レマ、サバクタニ

       浅野 直樹 牧師    


2026年3月15日日曜日

3月22日(日)四旬節第5主日礼拝のご案内

 諏訪教会の礼拝は、毎週日曜日午後時から始まります

教会は、誰でも自由に来ることができます。
わたしたち諏訪教会は、
いつでもあなたをお待ちしています。












★ 主日の祈り

全能の神様。

御子はすべての人々を罪と死から解放するため世に

来られました。

聖霊の力を吹き込み、キリストにある新しい命に生

かし、生涯、義をもって仕えることができますよう

に。

あなたと聖霊とともにただ独りの神、永遠の支配者、

御子、主イエス・キリストによって祈ります。

アーメン

 




(旧約聖書)エゼキエル書 

       37章1節~14節                                                                       (新約聖書)ローマの信徒への手紙

       8章6~11節

(新約聖書)ヨハネによる福音書    

       11章1節~45節


















「 死の悲しみを超えて

       浅野 直樹 牧師    

2026年3月8日日曜日

3月15日(日)四旬節第4主日礼拝のご案内

 諏訪教会の礼拝は、毎週日曜日午後時から始まります

教会は、誰でも自由に来ることができます。
わたしたち諏訪教会は、
いつでもあなたをお待ちしています。












★ 主日の祈り

主イエス・キリスト。

私たちの祈りに耳を傾け、来てください。

私たちのため、恵み深い生と死によって、心の闇

に光をもたらし、聖霊の油を注いでください。

父と聖霊とともに、あなたは永遠に唯一の主です。

アーメン

 




(旧約聖書)サムエル記 上

       16章1節~13節                                                                       (新約聖書)エフェソの信徒への手紙

       5章8~14節

(新約聖書)ヨハネによる福音書    

       9章1節~41節

「イエスという方が、
土をこねてわたしの目に塗り、
『シロアムに行って洗いなさい』
と言われました。
そこで、行って洗ったら、
目が見えるようになったのです。」




















「 知らずに救われたけれど

       浅野 直樹 牧師