諏訪教会の礼拝は、毎週日曜日午後3時から始まります
秋久 潤 牧師
永井隆は、1908年(明治41年)に長崎で誕生。1932
年(昭和7年)長崎医科大学(現・長崎大学医学部)を
卒業し、放射線医学を専攻し、母校長崎大学の助手と
なる。妻緑の影響を受け、26歳の時、カトリックの洗
礼を受ける。
日中戦争勃発後、第5師団衛生隊隊長・軍医中尉とし
て出征。現地では日本軍のみならず、中国人への医療
にも従事した。1940年(昭和15年)日本に帰国。功五
級金鵄勲章を受章。
1945年(昭和20年)8月9日、長崎市に原子爆弾が投
下され、爆心地から700メートルの距離にある長崎医大
の診察室にて被爆。右側頭動脈切断という重傷を負う
も、布を頭に巻くのみで救護活動にあたった。投下さ
れた爆弾が原子爆弾であると知ったのは、米軍が翌日
に投下したビラを読んでからのことであった。この原
爆で、妻緑を亡くしている。
一時昏睡状態に陥り、告解をして終油の秘蹟を受け
たが、奇跡的に生還。その後は大学を休職し療養に専
念した。来日中のヘレン・ケラーが永井の見舞いに訪
れたこともある。1951年(昭和26年)死去。「如己愛
人(己の如く人を愛せよ)」が座右の銘。
「長崎の鐘」
内容は、長崎医科大学助教授だった永井が、原爆爆
心地に近い同大学で被爆した時の状況と、重症を負い
ながら被爆者の救護活動に当たる様を記録したもの。
長崎の都市が完全に破壊された様子、火傷を負いなが
ら死んでゆく同僚や市民たちの様子を克明に描いてい
る。「長崎の鐘」とは原子爆弾の投下により吹き飛ば
されてしまった旧浦上天主堂の「アンジェラスの鐘」
のことである。サトウハチロー作詞・古関裕而作曲で
同書をモチーフとした歌謡曲が発売されて大ヒット
し、翌1950年(昭和25年)には松竹により映画化さ
れた。
被爆地に心を寄せていたベルギー国王
現在天皇陛下は、オランダ・ベルギーをご訪問中で
すが、陛下が現ベルギー王の父王ボードワン国王に初
めて会われたのは、1964年3歳の時。ヨーロッパの国
王の初来日で、国王夫妻は被爆地の広島や長崎を訪ね、
原爆慰霊碑や平和公園で慰霊している。長崎の教会で
『この子を残して』などの著作で知られる被爆者の永
井隆博士の遺児・茅乃さんに会い、国王は「お父さん
の本を読んでいます。あの本に感激して日本に行こう
という気になりました」と話した。



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