諏訪教会の礼拝は、毎週日曜日午後3時から始まります
神様。
あらゆる時代の信じる者たちとともに、いのち
の岩であるあなたをほめたたえます。
私たちの堅い土台となって、私たちを御子のか
らだに形づくり、喜んで全世界に仕える者とし
てください。
救い主、主イエス・キリストによって祈ります。
アーメン
秋久 潤 牧師
オスカー・シンドラーという人がいました。映画
『シンドラーのリスト』のモデルである人物で、第二
次世界大戦中、自らの財産を投じ命をかけて、千二百
人のユダヤ人の命を、ナチスによる虐殺から救った人
物です。
シンドラーは次のように書き残しています。「私は
悩み、葛藤した。しかし自分の判断と感情そして人間
としての心だけを生かそうという結論に辿り着いた」。
人間らしい心を持って生きることが極めて困難だっ
た時代、彼はそれまで築き上げた財産を投げ打ち、命
の危険を冒してまで、人間らしく生きようとしまし
た。
救われたユダヤ人たちは、感謝の証(あかし)とし
て、シンドラーにひとつの指輪を送りました。その指
輪には、タルムード(ユダヤの律法学者の口伝と解説
を集めたもの)の次の言葉がこう刻まれていました。
「一人の人間を救う者は、世界を救う」。
シンドラーが救ったユダヤ人の数は、実際は一人で
はなく千二百人でした。しかし、重要なのはその数で
はないのだと思います。救った人数が何千人であろう
と、たった一人であろうと、それは世界を救うことに
等しいのです。
さて、本日の福音書は、イエスが弟子たちに、「人
々は、人の子のことを何者だと言っているか」と尋ね
る場面から始まります。人の子とは、イエスご自身を
指しています。弟子たちは、人々がイエスのことを
「洗礼者ヨハネ」「エリヤ」「エレミヤ」「預言者の一
人」だと言っているとイエスに伝えます。
洗礼者ヨハネは、この時点で既にヘロデ王に処刑
されていました。しかし、天の国の到来と悔い改め
を呼びかけていた洗礼者ヨハネは、イエスとしてよ
みがえったのではないかという憶測があったのです。
また、エリヤもエレミヤも有名な預言者で、どちら
もこの世の終わり、終末に再び天からやって来ると
信じられていた預言者でした。人々はイエスのこと
を、救い主メシアに先立ってこの世の終わりにやっ
て来る預言者の一人ではないかと思ったのです。
弟子たちからの返答を聞いた後、イエスは弟子た
ちに向かって、「それでは、あなたがたはわたしを
何者だと言うのか」と尋ねます。
イエスの問いかけに対して、弟子のシモン・ペト
ロは「あなたはメシア、生ける神の子です」と答え
ました。「神の子」という言い方は、ご自分のこと
を「人の子」と呼ばれたイエスの言葉と対比してい
るようです。
イエスは、「シモン・バルヨナ、あなたは幸いだ」
と喜びつつ、「あなたにこのことを現したのは、人
間ではなく、わたしの天の父なのだ」と付け加えら
れました。私たちは自分の意志で信仰告白をしたよ
うであっても、そこには必ず見えざる神の導きがあ
るのです。
シモンのその言葉は、彼の考えではなく、まさに
父なる神によってもたらされたものでした。それは
私たちの信仰告白が、聖霊のみわざであるのと同じ
です。神は直接にではなく、あえて人の口を介して
ご自分の御旨(みむね)を人々にお示しになるので
す。
さらにイエスはこう続けられます。「わたしも言っ
ておく。あなたはペトロ。わたしはこの岩の上にわ
たしの教会を建てる」。
「ペトロ」とはギリシア語で「石」という意味で
す。もっともペトロの信仰そのものは、決して「岩」
のように堅固なものではありませんでした。このの
ち、ペトロは何度も主イエスにつまずき、十字架の
時には、主イエスを三度も「知らない」と言ってし
まいます。
ペトロは、岩というよりも、むしろ揺らぎやすく
転がる石のような人物でした。しかしペトロは、イ
エス・キリストによって次第に不動の「岩」になっ
ていき、彼を中心に初代教会が築かれていきました。
弱さを持つペトロが、主イエスに愛され、教会の土
台となったのです。
シモン・ペトロが率直に信仰を告白した時に、イ
エスは彼を「岩」と呼び、ご自分の教会をその信仰
の上に築く意向を表しました。そしてまたペトロは、
私たち自身のことだとも言えるでしょう。
この「岩の上に教会を建てる」という話は、以前、
イエスが語った「岩の上に自分の家を建てた賢い人」
と、「砂の上に自分の家を建てた愚かな人」のたとえ
話(マタイ7:24以下)が前提にあります。
その時、イエスは次のように言われました。「わた
しのこれらの言葉を聞いて行う者は皆、岩の上に自
分の家を建てた賢い人に似ている。雨が降り、川が
あふれ、風が吹いてその家を襲っても、倒れなかっ
た。岩を土台としていたからである」。
本日の福音書の「岩の上に建てられた教会」には、
建物のイメージがあります。そして、「陰府の力もこ
れに対抗できない」の「陰府の力」も、直訳は「陰
府の門」で、これも建物を連想させられます。それ
との関連で「鍵」という言葉が出てくるようです。
人が死後、とどめられている地下の場所が陰府で、
その門を開けて死者を生き返らせることは神以外の
誰にもできないと考えられていました。
イエスはペトロにこう言います。「わたしはあな
たに天の国の鍵を授ける」。これは、天の国にも門
があり、その門を開ける鍵があることを思わされる
言葉です。ペトロの役割は、単なる門番ではなく、
天の国の門を開けるという大きな役割なのです。
そして、イエスから鍵を渡され、天の国の門を開
けるという役割は、イエスの弟子である私たち一人
ひとりにも託されているのだと思います。
天の国の門を開けるために、どのような鍵を渡さ
れるかは、一人ひとり違うでしょう。ですが私たち
は、主イエス・キリストから渡されたそれぞれの鍵
でもって、天の国の門を開いていきましょう。
ユダヤ人たちがシンドラーに贈った指輪にはこう
刻まれていました。「一人の人間を救う者は、世界
を救う」。私たちも、常にこの指輪をつけているつも
りで、日々を過ごしていきましょう。
人生の中で、たった一人でも救うことができたな
ら、それは計り知れないほど大きな価値のあること
なのだと思います。
私たちは、イエスから「あなたがたはわたしを何
者だと言うのか」と問われた時、何と答えるでしょ
うか。
その答えのひとつは、「あなたは私をお遣わしにな
った方です」だと思います。私たちは、イエス・キ
リストから遣わされた者たちなのです。
私たちは神の御心と共に、たった一人でもいいか
ら、人を助けましょう。そして、その「たった一人」
とは、「無限大の一人」なのです。
人智では計り知ることのできない神の御心のもと
に、私たちは神の偉大なる大きな愛を、私たちの小
さな心に映し出しながら、日々を共に歩んでいきま
しょう。
お祈りをいたします。
神様、御名を賛美いたします。私たちが、どのよ
うな状況の中にあろうとも、自分の内に愛と真実を
もって生きていくことができますように力をお与え
ください。私たちがあなたの愛のもとに、自分自身
を大切にし、隣人を大切にして日々を歩んでいくこ
とができますように。主イエス・キリストの御名に
よって祈ります。アーメン



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